2006/12/31
♪♪ボギー ボギー
あんたの時代はよかった
男のやせ我慢 粋に見えたよ♪♪
♪♪ボギー ボギー
あんたの時代はよかった
男がピカピカの キザでいられた♪♪
よく夕食を取る中華料理店の有線放送から、ジュリーの「カサブランカ・ダンディー」が流れていました。
子供の頃聞いた時には、このフレーズの意味わからなかったなあ・・・・・・、こういうのを、「理より情」っていうんだよなあ・・・・・と妙に納得。
さて、江戸時代の日本人の「粋」(イキ)の心境を現わした川柳に
「死ぬまでに一度でいいから、蕎麦を汁にドップリ浸して食べてみたいものだ」
というものがあります。
これは反対に「汁でビシャビシャになった蕎麦を食べる美しくない場面」を「かっこ悪い!」と感じたからこそ出て来たものでしょう。
そこにあるのは、
「正直そっちの方が旨えんだがなあ、てやんでえ、それじゃどーにもかっこつかねえってことよ!!」
という江戸っ子ならではの気っ風のいいツッパリです。
日本人には、こんな一見取るに足らぬツッパリを徹底することで、一種独特の美学を作り上げてきた歴史がありました。
ここで
「汁をドップリ付けないことなんかにどんな意味があるの?そんな無理しないで好きなら沢山付けて食べればいいじゃないの!」
などという間の抜けたことを言う人の為に用意された言葉、それが「野暮」(ヤボ)です。
そういう理(理由・理屈)のないところに敢えて張ってみようとするからこそ、そしてそこで苦痛に耐えてみようという心意気があったからこそ、「粋」というやせ我慢は美学にまでなり得たのです。
「粋」とは、通常見慣れた世界に、斜(しゃ)に構えることですが、それ故、物事の真実に近づける、という屈折した眼差しでもあります。
今風に言えば、「ベタを嫌う風流」とでも言えるでしょう。
男と女がベッタリくっつき過ぎないこと、建築の創作で言えば、ある物ともうひとつの物との接合関係がベッタリくっつかず、あるスキマ(スリットとか)を介在させる、そういう手法のことになります。
こんな「つかず離れず」の微妙な距離感のことが「粋」と呼ばれ、西洋では、今世紀になってジョルジュ=バタイユなどが「エロティシズム」という言葉にそういった風流を見いだしました。
まあそれはさておき、ここで忘れられてはならないことは、「粋」に生きるには、その人にまず相当強い「信念」とか「筋」が必要だ、ということであります。この「信念」や「筋」なくしては、「粋」という斜めから見据えるような遊び心は、単なる奇行とか自由奔放に終わってしまいます。
「粋」とはその発端は恐らく、己の置かれている苦境への負け惜しみややせ我慢だったのでしょう。でも、その不自由さを軽く笑い飛ばし、それで遊んでみようとさえ努め、ついにはその苦境に耐える力を、ひとつの生き様の美学にまで高めてしまった我々の先輩の強靭な精神力、生きようとする生命力には驚嘆します。
新渡戸稲造はその著書「武士道」の中で
「武士道では 不平不満を言わない忍耐と不屈の精神を養い、他方においては他者の楽しみや平穏を損なわないために 自分の苦しみや悲しみを外面に表さないという礼を重んじた」
と記しています。
時として今の時代、日本古来の「耐える徳」を、化石のようにもはや通用しない悪習として扱う風潮があります。
でも、僕はこれを、どうしても好きになることができません。
確かに「耐える」ことは辛いことです。でも、辛いから理不尽だ、時代錯誤だ、そこまでしなくても・・・ということだけが声高に叫ばれるような日本人にはなって欲しくはないものです。
日本の古典の多くは、どこかでそういう美学に基づいているということが頭に入っていさえすれば、決してそんな軽卒な扱いはできないように思えます。
確かにある種の快楽に身を寄せるのは悪いことではないでしょう。今は養生訓のような時代ではありませんから。でも、その快楽がただ単に自堕落な快楽で留まっているだけでは、それは「野暮」(ヤボ)ということに過ぎません。
伊達男にだって、ちゃんと「伊達の薄着」という言葉が用意されているでしょう?
さて、最近頻繁に、現代の日本人が、
「生まれてきたからには、人生は幸せで楽しくないとおかしい」
と無根拠に考えているようで腑に落ちなく感じることがあります。
でも、自分の生命の危機を感じることが無くて済む今の日本、それだけでももうこれ以上の幸せはない筈です。
3歳の子供が腐敗臭立ちこめる生ゴミの中からひとかけらの食べ物を見つけようと必死になる国があります、食料が不足し草や土までを食らう人たちがいます、敵対する民族がいつ斧を持って自宅を襲ってくるかわからない恐怖の中で生きている部族があります。
確かに、そういう人たちとこの幸せな僕たち日本人とを比べることじたいには、何の意味もありません。だいいち、比較しようにも比較にさえなりません。また、そういう比較によって、日本人が自虐的になるだけでは滑稽でさえありましょう。
ただその中で少なくとも、
「生きていることというのは、そんなに幸せなことばかりではない」
ということくらいは身に染みさせておけば・・・・・・と感じます。
そうすれば、その人が「その次の段階」にやって来れた時、彼の人生での苦境は、ただの辛さとして記憶されるだけで終わることなく、その上位の「遊び」の域にまで高められる筈です。
ここへ来てはじめて「生きる美学」という言葉が意味を持ってくるように思います。
こういう場合、「生きる」という言葉ではなく「生きようとする」という言葉が選択されるべきでしょう。
「生きる」という言葉は生きているその静かな状態そのまま現わしたものに過ぎません。
でも、「生きようとする」という言葉には、必死になって昨日より今日、今日より明日を格闘しながら変え、生き延びていこうとする意志、事を前に進めようとする変化を許容する「動き」が感じられます。
三島由紀夫は、著書「若きサムライのために」の中で、ダイヤモンドが自分より硬いものに削られることによってはじめて、真っ黒な原石があれだけの輝きを手に入れることになることを例にとり、「生きようとする」ことについて説いています。
人は常に削られ続けることで、その不純物が取り除かれ、それ以前より己の純度を少しずつ高めてゆくことができるのです。
「今回、結構頑張った!」という満足の真最中に、敢えて更に己を削るようにしてみます。
「もうこれ以上ないくらい頑張った!!」という時、そこから更に削るよう己を強いるのです。
そして、「もうこれが僕の限界だ!!!」という時になってさえも、相変わらずまだまだ削り続けるよう、厳しく己に鞭打つのです。
いつまで経ってもそこに終わりはありません。いつまでたっても削り続けようとするのでいつまでたっても辛いまま、ということになります。
佐藤一斎の「言志晩録」に、以下のような節があります
少(わか)くして学べば壮にして為すあり
壮にして学べば老いて衰えず
老いて学べば死して朽ちず
どれだけ歳を経ようとも、「常に己を削り続けていこう」とする意志、そしてその不断の実行を欠かさない、という「辛さ」に耐え続けようとすることこそが、実は「生きようとすること」そのものなのであります。
この「己を削り続ける」痛み。そういう痛みに満ちた人生という意味で、僕は先に「人生とは幸福なことばかりではない」と書いたのです。
そして同時に、この「削り続けること」「生きようとし続けること」の努力が、いつかあるとき不快感でなくなってくるであろう、こともなんとなく理解されて欲しいものです。
この「削られる痛み」とどう一生付き合ってゆくことができるか、ということこそが「生きようとする」ことのコツにもなる訳ですから。
辛いからそこから逃げてしまうという選択があります、逆にそれに立ち向かってゆく姿勢もあります。或は、逃げるでも立ち向かうでもなく、「辛さのするようにする」という方法もあります。
いずれにせよ、いつかこの「削られることの痛み」が、ある種の心地よさや充足感に変化してきた時、生きることははじめて「ごっこ」から「本物」に近付く“きっかけ”を得るに違いありません。
こうした「忍えることの美学」は、先の「粋の美学」や「やせ我慢の美学」とその根は同じです。
敢えて不自由を背負うことでこそ見えてくる世界観なのです。
僕は建築、特に住宅に多く関わっていますから、より一層切実に感じるのですが、ここでは建築家と施主をはじめとする、その他沢山の「互(たがい)」の中でこそ物事が進行してゆかなければなりません。
この「互」とは、よくありがちなうわべだけの「お施主様の為に・・・」というような男芸者の腹芸とは全く違う次元に於いてのことです。もっとずっと遙かに深い次元のところで、建築に関わるものたちのことを想い、「互」(関係)を築いてゆく過程でのことを言います。
そうでない、ただのうわべだけの営業的な腹芸は、いつも口先だけであり、必ず「逃げ道」を用意しています。
「互」を知らず、「粋」を知らず、「情」を知らずして建築に足を踏み入れてしまった不幸です。
建築を学ぶ者からは、こと思想やデザイン、技術を必死に学ぼうという姿勢が見て取れます。言い換えれば、彼らは、「理の方法」(理論・理屈)を身につけることにはとても貪欲です。
片や、建築で「情の作法」を何とか発見して行きたいという欲求の方は、殆ど目にされたことがないのが現状です。
「情の作法」というのは、
「建築では、派手で目立つ花より枝、枝より幹、幹より根」という、僕が常に口にするような話、それ以前の問題です。
つまり、建築という「樹木」がしっかりと成長できるよう滋養を送り続ける為の「土」をどう肥沃にしてゆくのか、という姿勢、これこそがそういう作法に他なりません。
しかしながら、「理」という頭脳だけを知識として教育し、「情」なる心の扱いを疎かにしている建築教育の制度が現状の様であります。
いくら「理」(知識)があろうとも、人としての「情」を外した医師になど自分の体を任せたくないと思う気持ちは、建築家に対しても一緒です。
だから今回の話題の出だしのところで「理より情」という言葉を使いました。
ただ、いつも僕は言いますが、「どちらか片極」では常に片手落ちであることは自明であります。それは、「理」と「情」の話をする時、現在のあまりに「理」を優先させ過ぎる状況を目の前にしてそう言うだけの話です。
いつの時代も、
「理に過ぎれば固くなり情に過ぎれば弱くなる」、或はその逆で、「情に過ぎれば固くなり理に過ぎれば弱くなる」
ことには変わりありません。
ただ、今回のお話では、疎かにされている「情」についてしっかりと言いたいと思います。
さて、こうした「粋の美学」を感じさせてくれるものが如何なるところにも少なくなってしまったのは、もはや今に始まったことではないのでしょうが、しかしながら、昨今の様々な不祥事を前にした時の企業家、政治家、役人のあの醜さはただものでないことは、とても気になります。
必ず言い訳が先に来る。いつも身の保身がある。絶対に謝罪しない(或いは遅れる)。
本当に不思議です。どうして最初に一言「申し訳ございませんでした」という言葉が出て来ないのだろう・・・・・・。
日本人には、欧米流の訴訟社会の「理」の流儀なんぞ、一旦、忘れて欲しいものです。己が成熟する先からそんな小賢しいテクニックばかりを学んでどうしようというのでしょう?そこにあるのはいつも「情」を欠いてしまった薄汚い光景ばかりです。
大人がそういう始末ですから、子供が志を持てなくなってしまうのも、当然といえば当然のことなのではないでしょうか。
そういえば少し前、読売新聞社の社長である渡辺恒夫(ナベツネ)氏が、その失態による辞任騒動の中で、いつものあの潔く腹の太い風体とは裏腹に、切れの悪い逃げ口上の態度を取っていた光景を記憶している人も多いかと思います。
当時、あの様子を見たどこかのメディアの人が、下のような痛快な言い方をしていました。
(前略)・・・・・・・・
あの時、ナベツネさんには
『 子分が悪いことしたんだから、親分が辞めるのは当然だろうよ
辞任の理由?そんなもん責任があるからに決まってるじゃねぇか
くだらないこと聞くな
俺をなんだとおもってんだ! 』
くらいのことは言って欲しかった・・・。
・・・・・・・・(後略)
ああ~、全くの同感であります。
社員の出来が悪ければ社長の責任、子の出来が悪ければ親の責任、生徒の出来が悪ければ教師の責任、後輩の出来が悪ければ先輩の責任、そういう単純明快な理解で十分です。
“ここ一番の時”に「理」(理由・理屈)が入り込むようでは、到底、長が勤まるとは思えません。
こういう時の男の・女の価値は「粋か否か」、ということだけで是非あって欲しいものです。
過度に過ぎず、不足にあらず、
何事にも節目を付け、約束はきっちり守る
嘘をつかず、卑怯を嫌い、奢らず、憎まず、私益を求めず
如何なる苦境をも手のひらの上で扱い、それを己の新しい世界観にしてしまえる程の強靭な眼差し
これ以上、何を望むことがあるでしょう?
今年最後の 心からの挨拶を贈ります。
建築家 前田紀貞 建築家との家づくり/家を建てる
maeda-atelier.com