建築家と建てる家 建築家との家づくり > 空間を設計する > CASE02
暴走しないだろうか?
私はデザイン系の大学を出ておりますので、そこで目にしてきた建築という体系の権威主義的なところにそもそも抵抗感がありまして。
建築に携わる方が皆そうではないのですが俯瞰的に見ますとやはりそういう印象が先立ってしまうんですね。
建築家の皆さんすみません。
最近では「東横線渋谷駅」のような事例もありますから…。
ー クライアント
当初、幾つもの敷地の候補があった中でも、この場所ほど魅惑的なものはありませんでした。
都心部にありながら、まるで“鬱蒼とした森”のような風情であること、斜面地であること、敷地の中に古い農道の記憶を受け継ぐ階段(トマソン階段)があること、茂みの暗がりにひっそりと擁壁が立っていること。
その他にも、湿った土の感触、手入れされぬ無数の植物たち・・等々。
僕は一目でその敷地の持つ妖艶さが気に入ってしまいました。
ー 前田
建築を忘れて、森(敷地)の声を聞く。
森と建物が融合する。
プリミティブなイメージがオブジェとなり、立体画像として投影され、模型として姿を現す。
ものすごい量の情報が整理、統合され、家になっていく。
まず最初、「そんな敷地(森)の情緒が、決して「建築」で汚されるべきでない」と深く感じました。
そしてもしここに建築を作らねばならないのであれば、将来立ち上がってくるであろう「建築」と「敷地」はトロトロに溶けてしまうようになってほしい、そんな想いで設計に入ることになりました。
ー 前田
こうした土地でできることとは、「建築を建てる」でなく「敷地を建てる」に近かったといえます。
ですから、構想最初の頃は、建築より「敷地の声を聞くこと」ばかりが頭にありました。
では、その「建築と敷地」、つまり「内と外」を縫い目なくトロトロに溶かしてしまうには、一体どのようにしたらよいのでしょう・・・
そこで考えられたのが、「内と外がひとつらなり」になる「メビウスの帯」という幾何学でした。
右の写真(1)のように、通常の白黒の帯を両端で貼り合わせ輪っかにすれば、【黒が内 vs 白が外】となります。
ところが、写真(2)のように帯の両端を180度捻って貼り合わせてみますと、【白】の面からツーっとなぞってゆく指は、いつの間にか【黒】の面をなぞっていることになり、【白】と【黒】は連続してしまうことになります。
「白と黒」(建築と敷地)の境目を無くすことができれば、この敷地がもつ魅力を奪うことなく建築を建てられるのではないか、と直観しました。
実際のプロジェクトは「メビウスの帯」にもうひとつ操作を加え、「帯の先端を二股に枝分かれするようにして その後それらを捩って貼り合わせる」ことでできあがりました。
そして、下図右端の形が、最終的に「建築と敷地」をひとつらなりにする空間となったのです。
こうして、この住宅では「内と外がひとつらなり」ということになりました。
つまり、【キッチンの床】から順次この建築の表面を指でなぞっていくと、その指は、
キッチンの壁 → 浴室の天井 → バルコニーの壁 → 1階外壁 → 1階個室の天井 → 1階書斎の壁 → 中庭の壁・・・
と、「部屋内部の面」も「建物外部の面」もすべて切れ目なく連続的になぞり続けることができる、ということです。
こんなふうにすることで、最初に感じられた「森の雰囲気」は、自然と住宅内部へ流れ込むこととなりました。
快適な「自宅兼仕事場」にしたくて。
要は機能性重視なのですが、建築家と家を作るをことを中心にあれこれ考え始めますと、賃貸の頃には断念していた思いがふつふつを湧いてくるんです。
室内空間の質、インテリアや家具など美観的なことや趣味性を反映したくなる。
なんだかんだでそういうのも好きだったんだなと思えてきてワクワクしてきました。
ちなみに前田さんにお願いするにあたっては、こちらから具体的な外観形状や間取りなどを提示しないよう心に決めていました。
駆け引きを楽しむためです。
ー クライアント
また、建物の素材に関しては、その内と外に一切の縫い目が無いことから、「一種類の素材」だけにすることが良いと考えました。
結果、建物表面すべて(内〜外)がFRP(強化プラスチック)で塗り込められ、非常にシンプルな顔付きを醸し出すようになりました。
ところでこの、FRPによる表面一体成形は、構造的には「モノコック構造」として建物の強度にも貢献しています。
「モノコック構造」とは例えば、卵のような自然界にもあるような合理的な強い構造です。
CELLULOID JAMでは、最初に出会った「敷地」(森)から、「内と外をつなげる手法」というデザインモチーフが導かれ、最後にはそれが、「素材」や「構造」とも密接に関係するようになりました。
一見、作為的に見えるCELLULOID JAMの形態も、実は、こんな合理的な手順によって決定されていること、このことがとても大切なことです。
今 述べたような沢山の配慮の結果、現実に「森と建物」が解け合うような心地良い空間が現われてくることとなったと感じています。
丁寧に作り上げられたグラフィックスのシート。
その提示や話の順序、緩急の付け方などすべてが前田紀貞流儀なのだなと感じさせるものでした。
「この設計しかない!」
と感じさせる力のある、ドラマチックな事の運びに感嘆しました。
そして最後に除幕され模型とご対面。
それはもう感激で感涙です。
全てはこの模型に至るまでのストーリーとも言えます。
小さな竣工式のようです。
つまり模型に全てのエッセンスが集約されているんですね。
ここまでにかかった時間はこのためにあるのだなと、すべての不安や迷いが吹き飛ぶ威力でした。
ー クライアント
※音が流れますので、音量にご注意ください。
生活に没頭出来るようになりました。
賃貸暮らしのときに感じていた「こんな部屋が欲しい」「仕事場はこのくらいの規模に…」というとりとめの無い願望(妄想)を解消出来たことだと思います。
それはそれで楽しいのですが、やはり実現させなければずっとモヤモヤした気持ちに影響されつづけます。
これは結構重要なんです。
純粋に生活に集中できますから。
そして大きな意味でのゆとりを得たことでしょうか。
住宅が生活に与える影響って言葉にできないものがあります。
家から一歩もでずにいる日も結構あるので、家の中が快適であることがこんなに素晴らしいことなのかと思います。
ー クライアント
「メビウスの輪」がモチーフのこの家では、いたるところの角に「アール(曲面)」を作らねばならなくなりました。
模型の段階でも作るのが大変そうだな〜と思っていましたが、果たしてその第一箇所目のアールが棟梁の手によって実物大で現れた時は皆で感動しました。
同時に棟梁が良い感触をつかんだようで、目の輝きが変わったことも見逃していません。
これから先のおびただしい数のアール処理をうまくこなしてくださるな、という安心感を得ました。
ー クライアント
前田さんと出会って土地を探しはじめるところから完成まで、約2年半を要しました。
とてもエキサイティングで、人生の中で非常に貴重な時間になっています。
仮に人生80年生きるとしたらその中のたった2年半です。
工事の終わりに近くなった時には、
「この時間がもう終わってしまうのか…」
と感傷モードになりました。
考えようですが、この時間は完成した時の喜びに跳ね返ってきます。
ー クライアント
前田さんたちは「建てたらハイ終わり」、そんな突き放すようなことはありません。
何か起った時に相談ができることに加え、素晴らしい友を得られることに他なりません。
建築家とはそこまでをフォローする仕事なのです。
そんなこと想像出来ますか?
私は敬意を抱かずにはいられないのです。
ー クライアント
※音が流れますので、音量にご注意ください。
家を設計するとは「形をデザインする」のではなく「空気を計画」することだと思います。
それは、魚が濁った水では生きられないように、人も濁った空気ではうまく生きられないのと同じことだと考えるからです。
もしも、あなたが、こうした家の建て方にご興味を持たれたならぜひご連絡ください。
そしてアトリエに遊びに来てください。
歓迎します。