建築家と建てる家 建築家との家づくり > 空間を設計する > CASE04
前田先生とのやり取りの中で、これまでは与えられた環境が必然であり、それにシェイプされた生活を強いられていた事に気づき、逆に自分たちのあるべき生活を取り戻す事ができるのでは、と確信しました。
ー クライアント
ORANGEでは、いつも 設計の打ち合わせ時に、二人の可愛らしい男の子が同席していました。
彼らにとっては、僕達が用意していた説明用資料も、素材材料、サンプルも、参考模型も、はたまた、打ち合わせテーブルの近くにあるオートバイも消火器もストーブも、どれもこれもがオモチャのように映っているようでした。
彼らは、いつもどんな瞬間にでも、自分がいる空間と全身で遊ぼうとしているようでした。
その光景が、僕にとっては本当に瑞々しく、彼らのワクワクしている様子がどうしようもないくらい微笑ましく思えました。
そしてある時、気付きました。
僕は大学では、そういうように初めて人間が「空間」というものを認識する時のことについて勉強していたのです。
それを現象学とか存在論というのですが、そんな難しい言葉を抜きにしても、この子供たちが未来に渡って、僕たちの設計した家に住んでもらうことを想像すると、こちらの方がワクワクする気持ちになりました。
あれもこれもできるように思えてきました。
そうです、この子供たちが住宅の空間をキラキラ感じられるような家を創ればいい、そう感じたのです。
ー 前田
「子供にとって家とは何か」。
これは建築家が住宅(家)を設計するにあたっての永遠のテーマです。
そして、実はそれこそが、大人たちが既に考えることすら忘れてしまった、
「家とは何か?」
という素朴な疑問について、豊かに応えてくれるものでした。
「子供の家」を考えること。
大学時代からずっと追求してきた、僕の建築家としての原点に立つことが、ORANGEというプロジェクトのスタートでした。
このプロジェクトの不整形な形態は、偶然に出来上がったものなのです。
初期スケッチの際、事務所スタッフが建築模型を作る熱線カッターに直方体の塊を回転しながら遊んでいたのですが、それをそのまま建築にしてしまったのがこのORANGEです。
そこには、「洗練した建築デザインをしよう」等という崇高な意図など一切ありません。
知性による高級な教育を受けた頭で緻密に計画されるのではなく、
偶然に無心に無垢に純に遊ぶ、という大人自身の行為、
「子供の家」の種とは実はそんなところにあるのです。
雨というものは大人にとっては、“冷たく薄暗く不快なもの”ですが、それを初めて見る赤ん坊にとっては、キラキラ輝く生の世界(雨そのもの)以外の何物でもありません。
子供たちにとっては、“楽しくて仕方ない世界”、つまり“雨そのもの”と接し、世界そのものを喜んでいるのです。
僕は、建築空間もこのように、日常生活のなかでいつまでもキラキラしていて欲しいと願います。
「見慣れてつまらない住む為の機械」でなく、「空間そのもの」を感じてほしいということです。
近代建築では、「床〜壁〜天井」すべて0度・90度・180度・270度で構成されていますが、それはたかだか「近代建築のお約束」に過ぎません。
僕達が生まれ住む自然界は、「斜め」や「曲線」だらけで、むしろ、この4つの角度に執着するほうが不自然です。
でも、それを不自然に感じる大人がどれくれいいるでしょうか。
大人にとっては邪魔なだけの「水たまり」も、子供にはパチャパチャを感じられる最高のオモチャです。
子供は大人の事情になど興味のかけらもなく、世界はキラキラして無垢なままです。
僕達大人の都合や建築家が良かれと思ってやったことが、実は子供だけでなく、僕達大人自身に、「お約束」や「常識」を押し付け、自分の感覚を総動員して「感じる」ことを放棄させているかもしれません。
「世界への関心」にあふれている子供たちは、「世界はこういうものだ」という大人の調教が我慢ならないのです。
世界はそんな「お約束」より遙かにキラキラしていることを子供たちは知っているのです。
「空間」とは常に「時」とともにあるもの。
建築というものは「空間」(3次元)だけでなく、いつも「時間」と共にある4次元的なものです。
一瞬一瞬の「今」が、いつも変化して行ってしまう様、決して「常」ではない様こそが建築の本質でもあるのでしょう。
この日を通して、僕達がORANGEを通して成し遂げたかった真意、すなわち、
キラキラ輝く純粋で無垢な本当の世界をいつも感じてほしい
ということが現実になったことを確認できたと言っても過言ではないと思っています。
ORANGEには、歩いては到底行けない場所が沢山あります。
見渡せない場所もあります。
薄暗い場所もあります。
床 壁 天井が真っ直ぐであるという決まり事もありません。
更には、壁に落書きをすることや部屋のどこへでも傷を付けてもらって良いことを住まい手が心底了解してくれています。
ー 前田
仕事場での先輩である坂野氏の家(CELLULOID JAM)を見て、もう他にオプションはないと確信してはおりましたが、お話を進めるに従って、私どもの正しい姿や生き方を導きだしてくれる事が実感でき、決意しました。
ー クライアント
かつて、子供の絵の様な作品ばかりを発表していたピカソが、ある時取材陣に、
「なんであなたは子供でも描けるような絵を描くのですか?」
と聞かれた時の有名な話があります。
それに答えピカソは、
「私は子供の絵が描けるようになるのに60年かかったのです。」
と返したといいます。
ー 前田
コスト面の不安はありました。
でも、これから何十年も人生をかたどってもらう箱であると考えると、それにかけるコストを削る事がいかに愚かな事かとさえ思えてきます。
ー クライアント
未来のこの日本を背負うことになる子供たちにはどんな世界を用意してやれば良いのか、それこそが、我々、大人に問われていることであります。
それには、ひとつだけ確かなことがあるように思えます。
僕達自身が子供のままである(よう努力する)
ということではないでしょうか。
ー 前田
正直、自分の想像の粋を超越していたので驚きました。
しかしそこには自分たちが意識下で求めていたものが確実に色濃く寄せ集まっていたという印象です。
ー クライアント
自分たちのあるべき生活を取り戻す事ができていると思います。
家の全てのパートに作り手の魂が籠っており、生活のふとした一面からそれが伝わってきたりします。
毎日主役が代わり、絶える事の無い新たなストーリーが展開される人生劇場のステージといった感じです。
ー クライアント
これまでの生活は常識という枠に狭められた選択肢の集合体であったという事。
家族それぞれの正しい生き方、選択肢、生活習慣というのがあってこそ人生が豊かになる事を実感しました。
ー クライアント
※音が流れますので、音量にご注意ください。
家を設計するとは「形をデザインする」のではなく「空気を計画」することだと思います。
それは、魚が濁った水では生きられないように、人も濁った空気ではうまく生きられないのと同じことだと考えるからです。
もしも、あなたが、こうした家の建て方にご興味を持たれたならぜひご連絡ください。
そしてアトリエに遊びに来てください。
歓迎します。