ESSAY
#21:死を覚悟した瞬間
■自分の死を知らされた時
第一章で少し触れましたが、 僕は20代の後半、病が原因で死を覚悟せざるを得なかったことがありました。「あと5〜6カ月程の命」と言われていました。
この時の体験によって僕は、それ以前よりは少しだけ「死に親しむ」ことができるようになった気がしていますし、それによって自分の建築に対する制作態度も相当変わったのではないかと考えています。
思い返しても決して心地よい経験とは言えなかった訳ですが、「死」に少しでも接近したことで色々な意味の「自分」というものについて考えさせてくれる契機になったことは間違いありません。
今回は、その経緯についてちょっと話をしてみたいと思います。
僕は突然のこの出来事に際して、自暴自棄になることさえありませんでしたが、毎朝、目を覚ますのがとても辛かった記憶があります。常に頭の中にあることは、「死」のことばかりです。「死」そのものに対する恐怖は、想像以上に重く自分にのしかかっていました。
この時点で、まだ僕は大手組織の設計部に勤務するサラリーマンでした。
毎日、作業所からかかってくる電話、例えば「ここの梁の溶接方法はどうなるんですか?」というようなものに対して、胸の内では「俺はもう半年後に死ぬのだから、そんなことどうでもいいじゃないですか!」という気持ちで一杯でしたが、それでもそれに対するきちんとした返答を返し、FAX等を送ったりもしていました。律儀!!
自分の中に重たく暗い影がありながらも、普段と同じように振る舞っていなければならない、そういうことすべてが鉛を飲んだように感じられました。
またこのことは、親族には通知していなかった為(できなかった)、「そんなことなら、残された時間を南の島かなにかでゆっくりと過ごそう」とテレビドラマのようなことに至ることもありませんでした。
ただ、それまでと何ひとつ変わることのない、淡々とした普通の生活が1日1日過ぎて行っただけだったように思い出されます。
一瞬一瞬絶えることなく頭をよぎるのは「死」のことばかりです。
「死ぬというのはどういうことなのか?」「自分が存在しなくなるとはどういうことなのか?」「死の瞬間とはどういう感触なのだろう?」「死んだら残された家族はどのように生きて行くのだろうか?」
こんなふうにして、しばらくは残酷な時間を充分に味わったように思います。
僕は家に帰ると、ちっぽけなテラスでタバコを吸いながら月や星を眺めるのが好きです。
そういう世界に自分の身を置くと、この風景をもう自分の目で見ることのできなくなる瞬間が、刻一刻と近づいていることがヒシヒシと実感されてきたものです。
鮮やかなオレンジの夕焼けとか、雲ひとつない真っ青な空なんて贅沢は言いません。どんな雲の切れっ端でも、どんな雨の日の月でも、僕は近いうち、もうそれに接することが永遠になくなってしまうのだ、という思いで押し潰されそうでした。
タバコはどんなに体に害があると言われていたとしても、それさえもう吸うことはできなくなるのです。
そう考えると、この世界すべての存在する物たちが、突然とても親しく絶対に失いたくない友達のように愛おしく思われてくるのでした。
今まで気にしたこともないような電信柱や鉄柵、アスファルトの石ころ、信号機、100円ライター、そんなものまでが“分かれがたい友人”のように目に映ったくるようになりました。
そして、その中で何よりもかけがえなく思えたのは、自分の周りにある「空気そのもの」でした。
■星に教えられたこと
その頃、夜中に星を眺めながら本当に沢山のことを考えたものです。
今見ている星の中には、数億光年彼方から、やっとのこと今、その弱々しい光を届けてくる程遠い距離にあるものがあります。それだけこの宇宙は「広がり」を持っているということです。いや、「広がり」なんて言葉を使うには、あまりに申し訳ないくらいの・・・。
光が億という年月をかけてやっと到着可能な「広がり」。いったい、この宇宙とはどうなっているのでしょう。
いや、もしかしたらそうではなくて、宇宙の広がりじたいは、宇宙自身からしたら「普通の大きさ」なのであって、反対にその中にいる僕達自身の方があまりにもちっぽけだ、ということになっているのかもしれません。
恐らくそうに違いありません。
多分、宇宙にとっての僕達という存在なんて、サハラ砂漠の中の砂の一粒にさえ満たない程の、本当に本当に目にも見えないくらいの、存在にさえ値しない程度のものなのです。
サハラ砂漠からある一粒の砂が無くなっても、サハラ砂漠がそれを意に介すことなど絶対にありません。
宇宙の年齢は「120億年」程と言われています。
それを、人生「80年」と比較してみたならば、僕たちの「意識が開かれている時間」なんてものは、ほんのほんの一瞬の輝きにすぎません。それは、宇宙の寿命を1年間と仮定した時、なんと最後の0.2秒間にしか満たないことになります。
こんなものは、宇宙からしたら目にも留まらぬような一瞬の輝きでしかあり得ないし、逆に僕たちの「意識が閉じている時間」(=死んでいる状態)の方が、比較にならない程長くて「普通の状態」であり、「意識の開かれている時間」(=生きている状態)の方があまりに特殊で特別な状況なのだと考えることもできました。
「死んでいることの方が普通で生きていることの方が特殊だ」ということです。
この考えからいけば、僕があと200日間だけこの世界で意識が開かれていようと、それが50年間に延長されようと、そんなものどっちだって宇宙の時間と比較したら大した差は無いということになります。
こんなふうにして僕は、あれやこれやの思い付くだけの考え方を自分の中で巡りに巡らし、何とかして死というものを無理なく、そして自然に受け入れ、上手に自身に納得させられるよう訓練することに日々、努めていました。
或いはこういう考えもしてみました。
平均寿命までの50年後でなくとも「150年後」には、今日本日この地球上に存在する人間という人間は、誰一人として生存し続けている者はいないのです。また物体であっても、余程のもので無い限り、同じく消滅してしまっている筈です。
「150年後」には、今悩んでいる僕自身はおろか、「ここは丸だ」/「いや四角だ」などいった設計部の部屋の風景、そしてその結果建設されることになる超高層ビルなども、すべて跡形もなく消滅してしまっているのです。
宇宙が誕生してから120億年
現在の地球上の人間が誰独りいなくなるまで150年、平均寿命まで50年、自分に残された時間0.5年。
宇宙の年齢と比較したら、現在、この世で生を受けている人達がそれぞれに持っている余命は、いずれもそんな驚く程の差は無いじゃないか・・・・ということです。
・「自分の存在というもののあまりにもの小ささ」
・「命がある(意識が開かれている)ことのあまりにもの特殊さ」
が少しずつ無理なく納得できる気持ちなっているような感覚を覚えました。
この頃の自分がやろうとしていた大きな「仕事」とは、死することへの説得根拠を見出すことでした。まずは、この根拠を見つけ、そして次にそれを体全体に染み渡らせること、そんなふうに計画していました。
先に述べた「死に親しむ」とは、この過程でのことでした。
■宇宙に意識は無い
同時にもうひとつ深く思い当たったことは、「宇宙じたいには意識が無い」という当然の事実です。
例えば、いつか僕たちの星:地球が消滅したとしても、宇宙自身としては何もそれを気に留めるようなことはありません。
どんな星にも、その一生があります。
でも、それは僕たちの考える一生の中での「誕生から死まで」というよりも、「発生から消滅まで」といった「物理的なプロセス」であるに過ぎず、誰もそのことを喜んだり悲しんだりすることはありません。
勝手に発生して、勝手に消滅してゆくだけです。
とにかくそこには、宇宙というただの冷たい物質の世界が存在し、そこで一切がただ淡々と進行するだけで、「悲しみ」も「喜び」も「善悪」も「倫理」もありません。
こうした「感情」は、すべてそこに人間の造りだした「価値」という概念があるから発生してくるものですが、宇宙には「価値」という概念がありません。
月は太陽から光をもらってあれだけ美しく光り輝くからといって、太陽に感謝したり、太陽に恩返しすることなどあり得ません。逆に太陽は月に対して、恩を売るようなこともしません。
反して僕たちは、自分達の世界、そして宇宙にまで、おせっかいにも何らかの「価値」を見い出してゆこうとしてしまうのです。その「価値」の基準に照らし合わせることで、「悲しみ」や「喜び」や「善悪」や「倫理」も自ずと出てくるという訳です。
宇宙には「価値」という概念が無い為、すべては価値的にフラットです。 価値的にフラットということは、価値という概念が無いということです。
そこには、如何なる価値の階層(エラさの順番)も無い訳ですから、宇宙は「価値的」にはすべてがベターッとした状態でただ単にそこに物質があるだけ、といことになります。
誰も偉くないし、誰もさげすまされることもないのです。
あるのは、宇宙の摂理によって必然的にそうなってしまっただけの物の状態、言い換えれば、ある摂理に従ったプロセスだけです。
物質としてあるものそのものだけがただ淡々としてあり、それらはそれ以上でも以下でもないような状態。 それらに対して、良いも悪いも一切無い状態。
「価値感」を伴わない宇宙の視点からしたら、「ベートーベンの音楽」も「新人アイドル歌手の歌」も、その間には微塵の差も無いことになります。どちらも、いずれは消えて無くなる「音の周波数の配列」に過ぎません。
であれば、僕が日々格闘してきた「設計部での丸/四角の論争」という意見の「違い」なんてものは、一体どう解釈したらよいのでしょう?
僕の命が消滅するのは、病の「せい」でもないし、宇宙の「せい」でもないし、誰の「せい」でもない。
そして、僕の死を多少なりとも気に留めてくれるであろう人達の「感情」も、すぐにまたやってくるその人達自身の死によって、消滅してゆくのです。
そういうことすべてが一瞬のうちに行われ、そして迅速に終了してゆくのです。
昔、地球という惑星があって、そこでは沢山の幸せや争いがあった、という一瞬の歴史は、100億年後には誰にも知られることなく、跡形もなく消滅してしまっているのです。
それならば、あなたが玄関の扉に指を挟んでしまったその時の痛烈な痛みの記憶も、その瞬間、あなたにとっては一大事かもしれませんが、もはや10年後には誰の記憶にもありません。自分にさえ無いでしょう。
こうしてすべては一瞬にして終わってしまうのです。
だから、余命の僅かな違いの計算なんて 、それ程意味がないということです。「5カ月」後であろうと、「50年」後であろうと、死に面した際には、やはり同じような恐怖を覚えるに違いないのです。死んで意識がなくなってしまえば、どうせわからないのですからどっちだって同じです。死ぬ前に「これってちょっと早すぎ?」と思うか否かくらいのものですが、その記憶も死んだらおしまいです。
死んだらもうすべてが終わるのですから。
だから「宇宙」にとって、ひとりの人間の死など、「悲しみ」も「喜び」も「善悪」も「倫理」も一切無関係のことです。
それはただ単に宇宙の摂理に過ぎず、星や地球がその生命を終えるのと同じことであり、ひとつの石ころが転がったり、風が吹いたり、波が起こることと何ら異なることではありません。
宇宙の側からすれば、そういうことなのです。
■2つの世界
つまり、「もともと宇宙には“価値感”に起因する“意味”や“秩序”なんて存在しなかった」。
ただあるがままの「物質の世界」に、後から人間が「意識」を持つようになったことで、そこに自分達の生存に必要な「意味」や「秩序」を見い出したに過ぎないということなのです。
そうした「意味」や「秩序」によって、僕たちは悲しんだり恐怖したりするようになってしまったという訳です。
これこそ僕たち自らが、「外部世界」(=物質の世界)の他にもうひとつ新たに作りだしてしまった世界、すなわち「内部世界」(=意識の世界)なのかもしれません。
僕たちはこの「内部世界」(=意識の世界)の中でこそ悩み、苦しみ、あがき、そして、結果自らの命をも絶ってしまうことさえあります。
でも、次のことをよく確認しておいた方がよいと思います。
つまり 本来、この
「外部世界」(=物質の世界)と「内部世界」(=意識の世界)という両者の間には何の因果関係も無い
ということです。
その間に、わざわざ「橋渡し」をするようにしているのは、他ならぬ「自分自身」だったのです。
通常の僕たちの「感情」というものは、「外部世界」(=物質の世界)で発生した風景にいちいち反応して「内部世界」(=意識の世界)の風景が変化することを指します。
例えば、にこやかな顔をしていた人の表情が急に険しくなれば、僕たちの感情はそれに反応して変化します。月夜の空に突然雲がかかってくれば、気持ちの有り様も変わります。
これはごく普通の出来事ですし、反対から言えば、そういうふうな「橋渡し」があるからこそ、僕たちは世界の中で何とか潤いを持って生存し続けられているのだ、とも言えます。
しかし、自分の「死」という究極の状況に何とか対処し、自分に折り合いを付けるには、そこに敢えて「違う見方」をしてみることも、僕には必要だったのです。
つまり、この「外部世界」(=物質の世界)と「内部世界」(=意識の世界)の間の橋渡しをする「橋を切断する」、というやり方によって。
「悲しみ」や「恐怖」は、僕たちの「意識」が両方の世界の間に「橋渡し」を付けることで、自らが造り出してしまったものに過ぎないのですから、その「接続の配線」さえ切ってしまえば、負の感情である「悲しみ」や「恐怖」は発生して来なくなるのではないか?
「死」というのを、もっと客観的に冷静に物理的に受け入れられるのではないか?と考えた訳です。
僕が何故、死を恐怖するかと言えば
:「あと200日の命です」という言葉・・・・・・・・・・・「外部世界」(=物質の世界)
と
:「死は怖い」という感情・・・・・・・・・・・・・・・・「内部世界」(=意識の世界)
この2つの世界の間に、何らかの「接続関係」を発生させてしまったからです。
言い換えれば、「物質世界の言葉」が「意識世界の感情」と接続され、前者が後者を変化させてしまったからに他なりません。
だから僕は、この「配線を切断しよう」と思いました。
そういう負の感情を作りだしているのは他ならぬ自分である訳です。
他ならぬ自分がこの配線を繋いでいる張本人に過ぎなかったのです。
そういう意味でも、「一番やっかいなのは自分自身である」ということを、このエッセイでも繰り返している訳でして・・・・・・・。
自分自身という存在のことを、多少なりとも客観的に分析し、意識を少しでもシフトさせることができるよう、でき得る限りのことを尽くしてみようとトライしていたように思い出されます。
他の言い方をするならば、「外部世界」なんてものは、多分僕たちの「内部世界」のことなどには何の興味もありません。
僕は過度に「世界や宇宙に期待し過ぎていた自分」に気付きました。
もっと卑近な例で言えば、「自分の隣の人」という「外部世界」であれば、もっともっと自分の生き様や人生について考慮し、興味を持ってくれているものだとばかり思っていました。
でも、人というものは、新聞に掲載される他人の死亡広告記事よりも、昨日抜いた自分の歯の痛みの方が遙かに重大だったのです。
そう考えてくると、ずっと昔からうち寄せている海岸の波、森の大樹、公園で見かけるちっぽけな虫、滝壺の岩、野良猫、どれを取っても、皆、誰からも何も期待されずに、ただただ自然の摂理のままに存在をし続けている事実が、改めて鮮明に見えてくるのでした。
自分が単に客観的に外部世界の一部に過ぎない、何か特別の価値があるものではない、ことを痛感しました。
■残された日数の計算
もうひとつの思い違いは、「生きている時間は無限にある」という勘違いです。
その時点で僕は平均寿命まで生きたとしても、計算すれば17000日程度でした。それが、200日になるだけのことではないか、という思い方です。
宇宙の年齢120〜130億才ということは、ズバリ43800000000000000日です。 平均寿命まで生きたとして残り17000日、そして残された時間200日。
宇宙のあまりにもの大きさと比べてしまうと、人間のちっぽけさは、どっちにしたってあまり変わらないように思えなてこないでしょうか?
こんな幾つかのことをいろいろと自分なりに努力して考えてみました。つまり、自分のそれまでの意識の在り方を何とか変えようとしたのです。
そして、この頃からです、ちょっとだけ僕の心持ちが少しずつ変わり始めたのは。
もし残された日数「200日」が、平均寿命までの「17000日」とそれ程変わることが無いのであれば、僕のこれからの「200日」で成されるべきことは、「17000日」に対して考えていたことと、特に変える理由などないのではないか、と。
それが自分で勝手に予測していたよりも、多少少なくなってしまうからといって、何かを根本的に変える必要などあるのでしょうか?
ましてや、自暴自棄になって残された時間を無駄にすることなんて・・・・。
平均寿命までの「17000日」と言ったって、それをどう考えるかです。
20代の頃の自分の寿命なんて、殆ど無限だと感じています。しかし、当時の僕の余命である17000「日」を17000「円」にして考えてみたらどうでしょう?
あなたが、1万円札1枚と千円札7枚を持って銀行に行き、それをすべて「一円玉」に換金してみることを想像してみさえすればよいのです。
その1円玉の束を家に持ち帰って、食卓の上に並べられた「17000個の一円玉」。これらひとつひとつが、これからのあなたに残された1日1日そのものなんです。
たった17000個です。ちょっとビックリしませんか?
あなたが今、40才なら13000円、50才なら9500円、60才なら5800円という1円玉が机の上に積まれている計算です。 で、当時の僕は200個の一円玉だったのですから、あまり大した変わりは無いと感じました。
60才になって残り5800円なのに、もはや生きることへの精進を諦め、これからその1円玉をただただ浪費してゆく人達も大勢いるのです。
だったら、僕は残りの200円を、どんな1円もどんなことがあっても絶対に無駄にすることなく充分に堪能して使い切ってやろう、ということを全身全霊で決めたという訳です。
どんな鉄骨の些細な溶接方法も、家族との時間も、星や月を眺めることも、友達との会話も、1杯の焼酎を味わうことも、本や映画を見ることも、動物園のハリネズミを眺めることも、車で路地を走ることも、古着屋で服を探すことも、タバコ1本1本を吸うことも、呼吸することも、風を感じることも。
すべてを100%完璧な実感を以て、強引とも言えるくらいの気持ちで充満させるよう努めてみました。 世界にあって自分と接してくれる沢山の物たちに、「物そのもの」として全身で接する、という言い方でもいいかもしれません。
そして1日が終了した時に、「今日はこれをしたぞ!」と自信を持って言えることを、たったひとつでもいいから、自分に「言葉にして」納得させられる「充満した1円玉の使い方」をするよう実行してみました。
ただ、気落ちした気分のままで、いつの間にか200円が30円になっていたら・・・・・・。
こんなことはそれこそ文字通り本当に取り返しの付かないことをしてしまったことになるのです。気持ちがダウンして何もできないでいる、ということは、残された200個しかない1円玉を、1個1個ただドブに捨てているようなものなのですから。
200円だって、絶対に使いようなんです。
いくら1000円持っている人だって、その使い方を知らなければ、200円の充満した使い方を知っている人よりはずっと「貧しい」筈です。
200円しか持っていない人は「貧乏」ですが、1000円持っている人の方が「貧しい」ということだってある筈です。
以前この話を、住宅プロデューサーの山本卓男さんにしたことがありました。その時に、山本さんが言っておられたことが今でも記憶に残っています。
つまり、その時、僕は「1日=1円」と考えたのですが、山本さんは「だったら、それをもっと分割していったらいいじゃないですか」と言われました。
ああ、そういう考え方もあるものだ、と感心したものです。
つまり、「1日」を生きることの「単位」に据えるのではなく、それを「1時間」にし、「1分」にし、そして「1秒」にしてゆけば・・・・・・。
もっともっと人生の時間を大切に味わう「チャンス」と「回数」は増えてくる筈です。素晴らしい!!
鈴木大拙という思想家がいますが、その人が言っている「只今(ソッコン)」という言葉があります。 これはその言葉の通り、「只(ただ)この今の瞬間」ということです。
「時間とは“只今”であり、掴まえたその瞬間に過ぎてゆく」という意味です。
ただ、その「只今」を大切にし、それを積分してゆく(全部を足し算してゆく)作業こそが、生きているということそのもの、そしてその実感を味わうことであり、豊かに生きるということに他ならないのです。
只の今(部分)を大切にできないようであれば、それを積分した人生(全体)が豊かになろう筈がありません。
蛇足ですが、この「只今を大切にしてほしい」という気持ちの上に、今の自分の「建築の空気」を造る考えが出てきたということも、多分、確実なところです。
僕は星や月、空や夕焼け、そして、風、雲、雪、雨、光、土、樹木、・・・・・・、そういった日常の些細なものと触れ合う瞬間のことを常に口にしますし、それらを建築を通して感じることができるようになって欲しい、という思いを絶やしたことはありません。
このこと は、まさに今、述べたような事情から由来している気持ちそのままであります。
いずれにせよ、そんなふうにして僕は「死」というものと、なんだかんだで真剣に対面せざるを得ないこととなり、以前よりはちょっとだけ「死」や「世界」というものと親密になり、反対に「自分」というものと距離を置くことができるようになったのだと思います。
■「私」と「世界」は連続している
ここまでは、「如何に自分というものが小さいものか」についての考えを記述してきました。
でもそれと同時に、 自分が死ぬということは、決して自分がただ単にどこかへ消えて無くなってしまうようなことばかりではないのだ、という反対の気持ちもありました。
もともと自分がそこからやって来たような、なにか「もっともっと大きな摂理」に帰ってゆくこと、そしてそこに自分を「委ね」、それに「包まれること」だと「知る」ようにもなったのです。
つまり、 「自分」と「世界」というものは、全くの別物なのではなくて、それどころか、それらはどこかで連続している、というか実は全く同じものなのではないか、とさえ感じるようになりもしたという意味です。
だいたい、僕たちのいるこの宇宙が誕生した時のビッグバン時点でのほんの僅かの粒子の中に、今の全宇宙のすべてが詰まっていた、ということを思い起こせばよいのだと思います。
それから気の遠くなるような時間を経て、化学反応に継ぐ化学反応を経過して、今の「僕」を含む「世界(=宇宙)」が生成してきたのです。
このことを考えさえすれば、僕と僕の隣の席に座っている人、僕とイタリア人、僕と犬、僕と石ころ、等は、実はそこにあまり境界が無いのではないか、更には元々はひとつのものだったのではないか、とも考えられました。
そうすると、自分の意にそぐわない人を憎むという行為に対してさえ、改めて一考することができるようになってくるのでした。
「僕」と「世界=宇宙」の間に差は無い、ということになります。
別の視点から言えば、私と世界は連続的であるのならば、「自分はちっぽけな存在なのだから死んでもよい」 という考えは間違っていたといことです。
というか、ちっぽけな存在であるのは事実ですが、それ故に消滅してよい、ということではなく、消滅する「理由」はもっと他に大きな摂理としてあるのだ、という意味です。
簡単に、「自分の命」を「自分だけの問題」として考えることが、実はひどいエゴイズムだということを知るようになりました。
だから、喜び、悲しみ、苦しみ、などはそれそのまま受け入れ、それに全身で喜怒哀楽の表現をすること、切断されていた 橋渡しをもう一度修正しつつ、でもそれに以前程の過剰な自意識を持たないこと、が大切だと思いました。
最初から両者に橋渡しがされた状態で生きるのと、一旦それを納得づくで外してからもう一度架け直すのでは、全く意味が違うのです。
■タカラの「人生ゲーム」
本当に神様というのはいるのかもしれません。
なんと、僕の寿命は200日目になっても終了することはありませんでした。
その後、状況は完璧に逆転することで、他の誰とも全く同じように、とりあえずは平均寿命付近までは、「はい終了!」と言われる心配は全くなくなってしまいました。
ただ・・・・・・・・、その時、僕が感じた気持ち、これを全く正直に自分に問いかけると、単純に「ああ、よかった」ではなかったように思い出されます。そうではなくて、
どこかに「ああ、そうなの・・・・」という思いがありました。
これはとても複雑な感情で一言で言い現わすのは非常に難しいことです。
僕の意識の中では、「200日も17000日もあまり変わらないこと」も「宇宙の中の自分の在り方について」も、充分に納得した、とまでは言えないまでも、前よりは少しだけは意識的・発見的に「知る」ことができるような準備が成されていたのですから。
ある程度もはや脳が無理にでも何とかそれを了解し、既に身体の方の準備が成されてしまっていたからかもしれません。
「延長された時間」は「一度は無いものと考えられたもの」だったのです。
変な言い方ですが、友人に自分の一番大切なものをプレゼントすることをやっとのこと決断したのに、その友人から「それはもう要らないよ」と簡単に言われてしまったような感覚、或いは、貧乏故に破産を覚悟していたのに、突然、宝くじに当たってしまったような、そんな感覚にも似ているかもしれません。
ですから、それはどこか「もらいもの」のような感じでした。
神様からの。
神様から貰ったものは幾つかありました。
=どんな「今」も無駄に使用しない
=「自分が尊大である」と考えるような間抜けなことをしない
=自分の欲の為だけに生きない
=残された時間を「世界」とできるだけ一緒になって使用する
=如何なる「困難」も楽しむ(=「不幸」なんてない)
これはどこかで、今、正に生きている真っ最中の自分のことを、舞台裏からもう一人の自分が常に客観的に眺めているような状態みたいなものです。そしてそれは、「外部世界」と「内部世界」の配線を切断することで成されることですし、同時に、この二つが連続的である、ということを「知る」ことから来ているものだと考えます。
つまり、この出来事の後の僕の生き方は、ある意味では「ゲーム」のようになってきたのかもしれません。
ただ、僕はそれが「ゲーム」だからと言って、適当にやろう、などと思っている訳では決してありません。
「ゲーム」をする際、そのスタートの時点から「適当にやろう」とか「負けよう」などと思う人はいないでしょう。誰もが皆、「よ〜し、絶対に勝ってやる!」と心に決めてからスタートする筈です。
それと同じです。
昔から有名なあのタカラの「人生ゲーム」で、例え「破産宣告」を受けたり、「貧乏農場」に行ってしまったとしても、それが「ゲーム」なら「失意」など感じることはありません。
或いは、この ゲームの中で人から騙されても、「怒り」や「恨み」を感じることはありません。
それは、
「ゲームという“物質世界”と自分の“意識の世界”との間に、何らの因果関係も無い」とプレーヤーが了解しているから です。
それがゲームであったなら、両者の間に「橋渡しをする橋が無い」のです。その「配線が切断されている」のです。
でも、これはリアルな世界で生きる時にだって、うまく使い分けることができれば、良いことがあるのではないでしょうか。
そう思うようになっていました。
生きていると、多くの困難に出っくわします。
仕事がトラブル続きだ、受験に失敗した、健康状態が悪い、勉強ができない、莫大な借金をどうしよう、恋人と別れそうだ、大学を出た後どうしよう、人間関係がうまくいかない、自分の能力に自信が持てない、上司に怒られた、学歴が無い、人に騙された、子供が思った通りにならない、人から中傷を受けた、身体的な劣等感がある、これからどういう生き方をすればよいのだろう、お金が無い、競争に負けた、ライバルより無能だ、自分に価値が見いだせない、リストラされた、夢の実現ができない、等々・・・・、本当に沢山のことがあると思います。
そして、この当事者達は何らかの解決法を見い出そうと努力すべく奮闘しているかもしれませんし、逆に諦めてしまった方が楽なので、そっちの方法を取ることを考えている人だっているかもしれません。もしかしたら、自殺を考えている人さえ中にはいるかもしれません。
でも、ちょっと考えてみてはどうでしょう?
これが「人生ゲーム」の中の出来事だと思えば・・・・・・・、そうしたらそんな「感情」は湧いてくる筈がありません。
「貧乏農場」に行ってしまってプレーヤーは自殺を考えるでしょうか?ナンセンスです。
もし「失意」や「怒り」、「恨み」、「悲しみ」、「嫉妬」などを持つことが、当面の問題を解決してくれるのであれば、それはそれで意味あることかもしれません。ただ残念なことに、そういう類の感情は何も解決してくれることが無いどころか、生きている中で最悪のループにはまってしまった自分を益々醜くくしてゆき、更には周りの状況をどんどん悪化させてゆくことにしかなり得ません。
他人から見ると、全くもって不愉快な「一人芝居」・「一人相撲」に過ぎないのです。
だったら、そういった「自分の(負の)感情」を「現実の状況」から切り離してしまった方が良いに決まっています。二つの世界の間に「橋渡しをする橋」を外してしまいさえすればよいのです。
「都合の良い時だけ、配線を切断してしまう」のです。
この「切断」は、誰でもやろうと思えば簡単にできることだと思います。
なるべくそういう負の感情を発生させる配線を切断してしまい、困難と思われている状況と感情を交えずに冷静に面と向かう。
そうすると不思議ですが、自ずと道は開けてくるのかもしれません。
■「未来・過去」を「今」に侵入させるな!
もうひとつ大切なことは、生きている中で「恐怖心」を持たないことです。
ここでの「恐怖心」とは
「もし将来・・・・・・になってしまったらどうしよう・・・」
という感情です。
不安を予期し、それ故に悪い状況をわざわざ自分に呼び込んでしまうような「負の感情」のことです。
恐怖心は、ありもしない悪状況を勝手に「未来」の中に想定する、という悪さをします。それによって、悪状況をわざわざ自分で「現在」にまでデリバリーして来てしまい、「現在」の自分までをみすみす暗くダメにしてしまうのです。
「恐怖心」を持つと、敢えて起きなかったような悪いことまで、わざわざ発生させてしまうことになってしまうのです。このことが、当人に気付かれることはまずありません。それ故に厄介です。
デール=カーネギーが「船の構造」を例に出して面白いことを言っています。
船のあの長い胴体の中には、沈没防止用の幾つもの「シャッター」があるらしいのです。つまり、船の胴体の一部に穴があき、そこから水が侵入してきたとしても、その水が胴体全体に回り込んで沈没しないよう、胴体を幾つかの輪切りにして、その節目、節目の位置に止水用の「シャッター」を下ろすのです。
こうすれば、穴から侵入してきた水は、その破損した穴の両側に下ろされた「シャッター」によって仕切られ、隣の船室にまで侵入してゆくことはなくなります。これで、船は沈没を免れる、という仕組みです。
この方法は生きている中でも同じだ、とカーネギーは言います。
つまり、「未来」や「過去」の胴体のある箇所に、不幸にも「穴が開いてしまった」としても、それはその付近だけで、早めに「シャッター」を下ろしてしまった方がよいのです。多くの人達は、この「シャッター」を下ろすことをしないが為に、「未来」や「過去」の嫌なことが、「現在」にまで浸水してきてしまいます。
でも、考えてもみてください。何もわざわざ敢えて自分から、「現在」にまで水を侵入させ、人生をみすみす沈没させる必要なんてどこにあるのでしょう?
「1週間後に嫌なことが待っている」なんてことは誰にでもよくあることですが、そのことでみすみす今日からの7日間を暗くうつむいて胃を痛めながら生きることは決して得なことではありません。1週間後の嫌なことは、1週間後の「その瞬間」だけ味わえば充分でしょう。そんなことより、6日後の位置でなるべく早くシャッターを下ろしてしまうことです。
そうすることで、それまでの6日間(=6円)の多くの「瞬間」は楽しめるようになります。そうしないと、少なくともその時点での「6円」は意味もなくただ無駄に捨てられることとなってしまいますから。
以上のことは、「3年前に出会った不幸な出来事」という「過去」に関しても全く同じことです。
簡単に言えば、「シャッターを下ろす」とは、自分に「忘れることを強いる」ことだと思います。思い出しそうになったら、無理にでも強制的に忘れる訓練をすればよいのです。
やはり、生きることを豊かで奥行きあり、楽にするには、ある程度の「訓練」は必要なのではないでしょうか。でもそれは、そんなに難しいことではない筈です。
少なくとも、 何もしないでただ人生を豊かにすることなどできないでしょう。そして、そういうものはただ待っていても決してやって来るものでもない筈です。
言い換えれば、「シャッターを下ろす」とは、先の鈴木大拙の「即今」をただひたすら一生懸命に生きよ、ということです。
「未来」や「過去」の悪い状況を、わざわざこの「今」に導き入れてしまうことで、みすみす「せっかくのこの瞬間」を台無しにしてしまうことなんて・・・・・・。
それによって、残されたそれ程多くない「1円玉」を台無しにしてしまっていることに気付いた方が得に決まっています。
「シャッターを下ろす」には、ちょっと「力」と「勇気」が要るかもしれません。だから、何もしないでいる方が楽かもしれません。
が、「エイッ!」と腹に力を入れさえすれば、それはそんなに大変なことではないでしょう。
今度何か嫌なことがあなたにやってきた時、一度、是非やってみることです。「腰を上げてみる」ことです。
ただ、このシャッターはまたすぐに勝手に上がってきてしまうこともありますから、その時には、また「エイッ!」と腹に力を入れて下ろし直すだけです。
人生なんて、そんなことの連続ではないでしょうか。いや、それこそが人生ということなのだと思います。
僕たちが何か行動できるのは、「この瞬間=即今」に於いてでしか無いのは間違いのないことです。
過去は既に終了してしまったものですし、未来はこれからやってくるのですから、それに対しては具体的には何もする術はありません。
唯一、何かができるのは「この瞬間=即今」以外には無い、ということが知られるべきだと思います。
豊かに生きることとは、このほんの一瞬一瞬(=即今)を奥行きあるように使うことの限りない連続によって、成り立っているのです、きっと。
1円を・・・・1銭を・・・・1厘を・・・・。
僕は自分の設計した建築で、この一瞬一瞬(=只今)を、そこに住まう人達に充満した意識で味わってもらうことこそが、最も大きな希望です。
そこで、まだまだ先のやっかいなことを予測したり、或いは、もう既にとっくに終わってしまった嫌なことを振り返ってみたとしても、何も「今」がよくなることはありませんから。
ですから、建築の強度としては、この「只今」を充分に感じ取ってもらうことができるだけの「空気の力」が、建築の中になければなりません。
これが、いつもいつも口にする「空気を造る」ということに大きく関係しています。
■やり直しはいつからでも遅くない
僕はよくこのエッセイで、「やり直しはいつからでも遅くない」ということを言っていますね。
そして、
「人は今までやってきたことの軌道修正をする時に一番勇気が必要である」
ということも同時に大切なことだと思います。
正確な言葉は忘れましたが、ピカソも「それまでずっと自分が造ってきた物を捨てる勇気」と「それをすることのできない者の限界」について言及しています。
人生で最も悪いことのひとつは、自分を変えてゆくことができないことに開き直ることだと思うのです。「水は流れている限りは腐ることが無い」し「転がり続ける石にはコケが生えない」ように。
僕は、それまで生きてきた30年間の最後の200日で、自分の意識をちょっとだけシフトする機会を偶然にも得ました。
それには、それ程冷静な判断だけではなかったし、「もう一回味わいですか?」と聞かれれば、一も二もなくNO以外の答は出てきません。
でも、それは今となってみれば、何かしらの「神様からのプレゼント」だったような気がしています。
「やり直しはいつからでも遅くない」ということを初めとして、沢山のことをもらいました。
大学の生徒達には、たとえ提出の1日前であっても「最初からスケッチのやり直し」を指示することは頻繁です。サッカーでも、最後の1分で勝敗が決定することなど日常茶飯事です。
だから、僕はこの「やり直し」つまり「更新」ということに、勇気を以て立ち向かうことこそが、僕たちの「生きること」そして「創作」を、太く、奥行きあり、味わいあるものにして行ってくれるのだと確信しています。
もともと正しい道を歩いている人間など、誰独りとしていないのです。更には、例えそれを一度くらい真っ直ぐに軌道修正したとしても、時間が経てば、また道はすぐにズレて行ってしまうものです。
決して急がないことです。
いくら「やり直し」に時間をかけてもいいんです。
というよりも、「生きること」・「創作すること」とは、この「やり直し」・「更新」が限りなく繰り返されること、それ以外の何物でもありません。
生きてゆくこととは、微調整・再起動の限りない連続を意味します。
「この“やっかいな作業”を、どれだけ辛抱して続けて行けるか?」という姿勢こそが、「生きること」・「創作すること」の秘訣です。
心配しなくても、この「やっかいな作業」が終了するなんてことは、あなたが死ぬまでありませんから。
常に生き方を「更新」し続け、自らが変化し続けてゆくことだけが、生きていることの証であり意味でもあるのです。
反対にそれが静止してしまった瞬間、すべては終了してしまいます。
そうなったらそれは、生きているのではなく、生き延びているだけ、ということになります。
忍耐の人生故に天下統一を果たした徳川家康の言葉です。
「人の一生は重荷を背負うて遠き道を進むがごとし。
急ぐべからず。堪忍は無事長久の基(もとい)なり」
前田紀貞 13/09/'04
加筆・訂正 前田紀貞 16/02/'05