ESSAY
#14:日本の建築は本当に最先端?
■手探りの中での物造り
建築をやり始めた頃の最大の関心のひとつは、自分の造ったものが建築雑誌に掲載されることではないでしょうか。僕も例外に漏れず、最初に自分の設計した建物が掲載された雑誌は今でも深く記憶にありますし、その時の嬉しさは、それ以降のどんな時より、遙かに思いに残るものがあります。
それ以前は、たった独りで「これでよいのか?」という自問自答をしつつ、本を読み耽り、そして、大学卒業後も、先輩に「現在の自分の方向は正しいのか?」などと、大真面目にわざわざ新幹線に乗って京都まで相談しに行ったりしたことさえありました。
ちょっと言うのにはばかられますが、その当時、僕はとても真摯に「建築道」を究めようとしていました。
それは、今でも何ひとつ変わっていやしませんし、いや、今の方が遙かに真摯になっている確信さえあるのですが・・・・・。ただちょっとだけその「真摯さの質」が違うことも確かです。まあいずれにせよ、この「極めてゆく行為」は、永遠に終わることなく、いつまでも道を求める者には付いてまわることになるのでしょう。
ただ、「建築雑誌に掲載される」という出来事は、「あなたが正しい建築をやっていることを証明します」と言われているような気がしていたものです。
そして、それ自身は決して悪いことでも何でもないと思います。
創作者というのは本来、誰でも、手探り状態でその営みに手を付け、自分が悩み抜いた挙げ句の果て出てきた何らかの回答に対して、どんな批評が待っているのか、にとても敏感になるのが常なのですから。自らの方法に何らかの客観的な判断をもらいたい、という気持ちは至極当然のことと思います。
例えば、夜の暗闇の中で手探り状態で造り続けていたものは、朝日を浴びるまで、それがどんな形になっているのかわからないことにも似ています。或いは、陶芸家が土を捏ねて造った世界が、釜から出されるまさにその瞬間まで、その色合いや最終の形が決してわからないのと同じように。
そして、そういうことを通して、徐々に自分の建築を少しずつでも更新し、ある時は自信を得、またある時は自信を喪失しながら造ってゆくプロセスというのも否定できないこととしてある筈です。
■日本の建築メディア
こういうメディアと建築家の関係の中で、今回、テーマにしたいことは、最近、時として目にする「日本の建築は最先端」という言葉です。
その前に、「日本の建築専門メディア」について話をした方がよいかもしれません。まず、それらが非常に優秀であることは指摘しておかなければならないことでしょう。ニューヨークやパリ、ロンドンのどこの書店や図書館に行っても、大抵の日本のメジャーな建築雑誌は店頭に積まれています。このことによって、日本の建築家は海外の建築家達によって、その存在を比較的よく知られることができるようになっている筈です。少なくとも、数から言ったら、例え、若い建築家であろうとも、トルコやヨルダンのそれよりは、多少は知名度が高いことは間違いありません。
ここが問題です。
では、名前がちょっとくらい出ているからと言って、トルコやヨルダンの建築家よりその作品の質が上回っていると、それそのまま納得してしまっても良いものなのでしょうか。
ここでは、そういう判定をする場ではないので、それへの答は問題ではありませんが、重要なことは、日本の建築家のある一部には、明らかに「俺は建築雑誌に出たことがあるのだから、建築界ではもう一人前だ」などと、甚だしくも愚かな勘違いをしている様子を、間々、垣間見ることがあるという事実です。勿論、そういうことをそのまま口にする人は、さすがにいませんが、こういう類の奢りや勘違いというものは、言葉や態度の端々に現われるものなので、時々、そういう場に居合わせると、その高慢な空気に戸惑うことすらあります。
分かり易く言ってしまえば、「日本の建築家の質が高いのではなく、日本の建築メディアの力が強いだけ」なのではないでしょうか?確かに、日本の建築は、今、世界でも最低の位置にいる、などとは思いませんし、それなりの場所を確保しているのも否めないところです。
■日本の物造りと魂
しかし、その創造性の本質から物を問い始めた途端、そのオリジナリティー、思索の強靱さ、現象への問いかけ方、そしてその建築家の生き様、に多少なりともの疑問を感じざるを得ません。
僕がここで言う「疑問」という意味には「二通り」あって、
・「欧米からの直輸入品を加工しているだけのもの」
・「確かに日本にしか無いが、ただ単にそれだけのもの」
この2種類です。
これを考えると、僕はどうしても「日本の建築は最先端」などという、自己批評の伴わない物言いには、到底同調することができないのです。
或いは、建築家自身がそう簡単には納得してはいけないぞ、という気になる訳です。
この状況を車に例えるとわかりやすいかもしれません。
「今の日本の自動車産業は最先端だ」と言われていますし、それは無理なく納得もできるかもしれません。しかし、フェラーリ、メルセデス、ポルシェ、GM、などが造り上げてきたものと比較すると、今の日本の車には「創造への強靱な意志」を感じられるものが一体どれだけあるでしょう。
僕は答は「殆どゼロ」だと思っています。或いは、オートバイのハーレー=ダビッドソンはその生産台数では、今の日本のバイクメーカーとは比較にならない程、ちっぽけな数字かもしれません。しかし、その間には、埋めようと思っても絶対に埋められない「魂」の距離があります。
これらの理由は前述の「二通り」そのままです。
ひとつは「欧米からの直輸入品を加工しているだけのもの」、もうひとつは、「確かに日本にしか無いがただ単にそれだけのもの」。建築と車だけでなく、音楽やファッション、その他の多くの「日本の現代文化」において、似た様なことが発生しているのではないでしょうか。
簡単です、「魂」が無い、ということに尽きるのです。
技術や計算、オリジナルを加工する能力に於いては、日本は確かに優れているかもしれませんが、それは、本当に自身の歴史やその人本人から出てきたものではない、という意味です。
「いやいや、日本のオリジナリティーというものは、古来からそういう加工能力にあるのだ」などというエクスキューズを、僕は建築では一切聞きたくもありません。
ただ、誤解の無いように付け加えておけば、今、ここで僕が述べようとしているのは、あくまで「最近の」という意味においてです。「最近の建築」「最近の車」ということ。
■戦後日本の物造り
戦後の焼け野原という全くの白紙の状態から、たかが30年足らずで、経済大国と言われるまでに日本を引っ張り上げてきた人間達の精神力とエネルギー、そしてその忍耐力には驚嘆するものがあり、僕は常にそこに大きな敬意を払わずにはいられません。
あの時代の人間達の意識の質は、今の僕たちとは比較のしようもない程、筋が通っていました。
彼等と僕たちの違いは、前者が、道端の犬や草さえも食っていた、我々の親父達の「食えるか否か?」という、あまりにもの限界状況における「量」への挑戦だった、ということです。加えて、「日本を何とかしなければいけない」という、「私」的な事情以上の、「公」に対しての責任や美意識があったのです。
対して、僕たちの世代は、それらの財産をどう受け継いで「質的な状況」に持って行くか、ということになる筈だったのですが・・・・・・。
ただ、不思議であり残念でもあるのは、「食えるか否か?」というギリギリの位置で格闘してきた一昔前の人間達にとっての方に、今の物より遙かにオリジナリティーや精神性、魂があった、という事実です。
これは、ひとえに「飢餓感」の問題です。
人は「飢餓感」故に、壮絶なものを造り出すことができるのです。だから、飽食で食い散らかしきった今の時代に、強く僕が「飢餓感」のことを言う意味もわかってもらえるかと思います。欲しいものは何でも手に入る、食えないなんてことは無い(餓死するほどの貧乏人はいない)、人への思いやり(礼節)が欠落している、「私が・私が」が一切の興味である、等々。
こうした満腹感がすべて、「創造への飢餓感」をモヤシのように細くひ弱にしてしまっているのです。
そして更に最悪なのは、戦後、血を吐く思いで新しい道を切り開こうとしてきた先輩達の御相伴にあずかるべく、その後追いをしようとする姿勢さえ露骨に見えてしまうことです。
僕たちが勝負している建築の土俵は、車と同じく、元々は欧米の文化です。
だから、それを突然、我が国のオリジナルにすることには、そこにとても大きな困難が伴っていたであろうことは容易に予想されます。ですから、それを受け継ぐ僕たちが、何も脳味噌を回転させずに、今の欧米にある建築サンプルをマイナーチェンジしつつ、作品として発表するなどということは、どんなことがあっても成されてはいけないことなのです。
それが「筋」というものですし、それが僕たち若い建築家に与えられた、次の使命なのです。
また、思想界の上澄み液とか雰囲気(ポスト構造主義的な表層性?ポップ性?皮膜性?ミニマルな雰囲気?)だけをすくいとって、それをそのまま建築のフォルムやインテリアのしつらえに移植するようなことも止めるべきです。欧米のそういった思想が出てくる背景には、とてつもない重量感ある魂の格闘の歴史があったということに目を向けることなく、ただただ結果としての末端の「花」だけを摘み取って、飾るようなこともするべきではありません。
創作の品位を落とすだけです。
僕は、何も今のこれからの建築家達に「自虐的になりなさい」と薦めている訳では決してありません。それどころか、「日本人の自虐性」は僕の最も好まざる部分のひとつです。だから全くその逆でありまして、もっと「尊厳」を持つべきなのです。しかし、この尊厳が本当に自身のものになるのは、「そんな簡単なことではないぞ」と言いたいだけなのです。
自動車産業では、その黎明期から今に至るまで、欧米では想像を絶する失敗や格闘を経て、やっとのこと、今のレベルにまで到達しました。それを、50年遅れてやってきて、その「結果」だけを略奪するようにして、「ほら、日本車って優秀でしょう。だいたいあなたたちの作ったものはよく壊れるんですからねえ」などというのでは、あまりに創造に対する礼を失しています。
まず、今の日本車の「顔つき」を見て下さい。
本当にどれもこれも同じような顔で区別さえつきません。これですべてがわかるというものです。
車でも建築でも人間でも、皆そうですが、その顔(外見)を見れば、魂がわかります。それなのにTV-CMでは「世界を革新させる・・・・」とか「全く新しい・・・・」などという、お決まりの文句でもう立派に漫才ができるようなギャグを放映している始末です。
物事はテクニックやその瞬間の結果のみで評価されるよりも、バックグラウンドの精神性やプロセスによって成される事の方が、遙かに健全なことだし、それによって「明日の創造の方向」が見えてくることになるのだと思います。
今、僕の指摘していることは、「経済的な生産性」(儲かりまっか?)の話とは無関係です。あくまで、創作の面からの話です。
こういう視点でものが見られと、「日本の建築は最先端」と言われる今の建築界は、とても微妙な位置にいるのではないか、と思い始めることはありませんか?
とにかく、あまりメディアによるコントロールを、自分の実力と勘違いしないことです。そうしないと、20年前、多くのトレーダー達が日本に「勉強」しにやってきたバブル期が、あっと言う間に終了してしまったことと同じ過ちを、建築で再び繰り返すことになってしまいます。くれぐれも「日本建築デザインバブル」にならないことが、肝要です。
意味なく、背景なく、根拠なしに浮かれることはやめておいたほうがよいのです。もっと冷静な自己批評が必要です。
■建築メディア
さあ、もう一度、建築メディアの話に戻しましょう。
雑誌社にも様々な事情がありますから、そこに掲載される作品は、純粋な作品性とか建築的質だけが掲載の評価基準で無いことは言うまでも無いことです。このように文字で書くと至極当然のことと思われがちですが、本当に自分の胸に手を当てて、今、記載してきたような経過による愚かな勘違いが全く無いと言い切れるでしょうか?僕は自身にこのことを、常に厳しく問いかけ続け、常にビギナーであり続けたく努力してゆきたいと思います。
また、もうひとつ重要ことは、そういう質の良い建築メディアであったとしても、それがある日突然、この日本から無くなってしまうことだってある、ということです。
そういう言い方は建築メディアに対しては失礼なことにあたるかもしれませんが、しかし、本当に良質のメディアであればある程、それが抱える経済的状況は厳しいに違いありません。僕たちの設計事務所と一緒でしょう。
ですから、「建築メディアによって担がれた御輿(みこし)に、未来永劫に渡って乗らせてもらいながら、その援護射撃に頼って建築界に進出してゆこう」などという考えが少しでもあるとしたら、あまりに考えが甘過ぎる、ことになりますし、そのまま飢餓感やリスクヘッジの能力に欠けていると思わざるを得ません。
或いは、「これからそういうメディアをアテにして、ジャンジャン自分を売り出して行こう」などと呑気にも考えている人達も同様、この時代ではもはや先が見えているというものです。
建築家とは「(株)日本建築メディア」という会社の「社員」になってはいけないのです。
要は「あなたはそういうもの(日本製建築メディア)すべてがなくなったとしても、それでも裸一貫で勝負できますか?」ということを自身に問いかける必要があります。
「焼け野原から出発できますか?」「捨て身になれますか?」ということでもよいでしょう。
そういった、「自分を留保するもの」、「自分にとっての安全地帯」を捨て去った時、始めて本当に建築を産み出す、ということの意味がしっかり見えてくるようになるのだと思います。
■捨てることで見えてくるもの
ここで、「捨て身」と言いましたが、これは「自分を捨てる」という意味に他なりません。
何故、「捨てる」ことに拘るかといえば、人というのは、何かを多く所有するようになればなる程、不自由になってくるものだからです。 お金でも名誉でも物でも。
そして最もやっかいな「捨てられないもの」が「自分」です。生きて行く過程で、自らが勝手に作りあげてしまった「自分」程、やっかいなものはありません。
ともあれ、何にせよ、多く持ってしまった以上、次にはそれを守らねばならい気持ちになる訳です。
そういう時に、精神の集中力を妨げる「欲」が頭をもたげてくることとなります。創作に関して、この「欲」はある時には非常に不都合で邪魔なものになってしまいます。
だから、沢山の物を捨ててゆくことを心がけたいと、僕はいつも自分に言い聞かせているつもりでいます。
誰にでも、今までの経緯や歴史や過去のちっぽけな成功体験や大切に蓄積してきた物など、沢山の「ゴミ」があります。勇気を持ってそれらを捨てられるようになると、本当に自分は解放されてくるものです。真に大切なものは、実は自分の人生でそんなには多くない筈です。
今の自分に何も無いと思いきれれば、何も恐怖する必要がなくなる訳ですから。できることは、創作に対して昨日よりも深く、太くなるだけです。
戦後の「加える(+)」型教育のお陰で、僕たちは得ることばかりを覚え、失うことによって始めて見えてくる物があることなんか、もしかしたら想像すらできなくなってしまっているのかもしれません。
何かを得るには加えることだ、という固定観念ができていやしませんか?
でも、「呼吸」ひとつとっても、吸う行為(+)と吐く行為(−)では、どちらかというと、後者の方が大切だと言われています。戦後教育などという大問題のみならず、例えば毎日の食生活だけを考えても、「サプリメント」とか、そういう「体内に加えるもの」ばかりに関心が注がれるような始末です。「コレステロールを減らす為(−)」の手段は「○○を接種する(+)」、というふうに、すべてが加える思考です。
飽食の結果、僕たちの精神の壁の内側には、恐ろしい程の「カス」が付着し、創造の為の自然な「流れ」を堰き止めてしまっています。それが結果するものを考えてみるべきです。
もっと、「自然に無理なく失うこと」を考えてみたらどうでしょうか?
僕のよく言う「精進」とは、ある意味でそういうことです。
なにも、高い位置から「苦行しなさい」などとエラそうに禁欲的に言っているのではなく、ごく普通に、自分の精神の「ゴミ」「カス」や「詰まり物」を取り除いて行く、という単純な、しかし忘れられがちな行為なのではないでしょうか。
そうすると、集中力や持続力、そして想像力がどんどんと身体内部にドクドクと流れ始めるのが感じられるようになってくる筈です。
とにかく何かを沢山持ち過ぎないこと。
■自分の履歴
さて、「メディア」の話に続いて、次は「賞」について、です。
過去の受賞歴を延々と記載した文書によって、鼻高々に自分を過大に装うこと、これも頻繁に目にする光景ですが、なんだか、さもしい感じがしませんか?
これは他ならぬ「自分への負荷を嫌う態度」ですが、その意味は昨日の自分の成功によって、明日の自分を生き延びさせようという、安易なる姿勢以外の何物でもありません。建築家はいつも昨日までの出来事をすべてリセットし、「今日の朝」から全く新しくスタートする腹ができていなければ「未だ見ぬ世界」など永遠に実現させることはできません。
それこそ、「大リーグボール養成ギブス」(1章)どころか、筋肉増強剤を注射してオリンピックで100m走に臨むようなものです。
例え建築界のいずれかの賞に、アカデミー賞ほど知名度(?)のある賞があったと仮定しても、そこで、あのマーロン=ブランドが「映画:ゴッド=ファーザー」へのアカデミー授賞式で取ったような術(すべ)を取ることのできるほど、奥行きのある建築家がいるでしょうか?
マーロン=ブランドのあの事件の真相を正確に知ることになれば、彼がどれほど偉大な人間であったかを理解することは大変容易です。(メディアはそういう事件の面白半分な部分だけをピックアップしますから気を付けて!)。
※この文章を書いた、2日後、僕はマーロン=ブランドが死去したことを新聞で知りました。心からのご冥福をお祈りします。
建築を、生きることと同じ高さから見られるようになれた時、その時には、「賞」よりも「精進」の方が人生にとって遙かに意義があることが無理なく理解できるようになるのでしょう。
それだけ、建築家というのは、「常識」や「欲」というものにまみれているということなのでしょうか?
少なくとも、賞というものは、「その賞の求めるところまでまだ自分が達していない」と感じたならば、「くれると言うから貰う」というだけで、簡単に事が成されるべきではないとも感じているのですが(勿論、関係者の方々への感謝の意の表明は不可欠です)。
人はそういう評価を、自分の魂がまだそこまで成熟もしていない時期にもらってしまうと、自分でも気付かぬうちに、どうしてもヒヨってしまうものです。
「自分の精進の進み具合」と本来の「自分の能力」との距離をどれだけ冷静に見極めることができるか?ということは、永遠に戦い続けなければならない「自分という敵」への問いかけなのです。
■建築家村
さて、建築界で誰もが感心のある「メディア」と「賞」に加えて、いまひとつのものは、「先輩建築家とのコネクション」です。
建築家パーティー(?)などでは、率先して、巨匠建築家に名刺を差し出す光景を目にすることがあります。これまた、それじたいでは、決して悪いことではないでしょう。自分より先輩に挨拶をし、礼を尽くすという意味では。
それともうひとつ、「○○スクール」というような、ある横綱建築家を頂点にした、枝分かれの系図によるグループというものもあります。学生の中には、「ここに入れば、将来いいことがある」と思っている者もいます。
ただ、「巨匠建築家」も「○○スクール」も、そういうものは、その人達の日々絶え間ない精進と好奇心の結果として、無理なくいつの間にか出来上がって来てしまっただけの、単なる結果に過ぎないのです。
大切なのは、彼等の後追いをすることでなく、逆に自分を追って来るような人達を持つべく精進することです。
一番くだらないのは、そういう今既にできあがってしまった既成の力の効能を自分にも受容すべく、その仲間に入れてもらうことを目指すことでしょう。
先輩建築家からおこぼれをもらおう、などという考えはあまりに粗末です。
学生達の話を横で聞いていると、そこに、「あの研究室に行けば、○○先生と近くなれる」、「あそこに留学すれば、日本では得られない評価がゲットできる」というような空気を感じてしまうのが偽りの無いところです。
ここでも僕は、質の良い研究室や留学することをハナから否定するつもりなど毛頭ありません。ただ、本当の自己批評なく、誰が作ったかもわからない「評判」だけを信じて、そういう流れにただただ乗るだけでは、結局は自分の手で何かを掴み取る、ということを自らに阻止してしまうことになってしまう、ということを言いたいのです。
つまり、どんな場所にでもヒョコヒョコと出かけて行って、そこでおかしな腹芸をしたり、或いは、自分の脳味噌で思考して答を出す代わりに、評判のよい(?)グループや学校を目指したりすることは、自身でも気付かぬうちに、早くも自らをスタートの時点で脆弱にしてしまく危険性を帯びているということです。
そういうことをするのであれば、その時間を自分の滋養をゆっくりと蓄積することに費やす方が明らかに前向きであることに違いありません。
ただ、これはとても孤独で確証を得にくい方法です。そして、余程のこと自分に自信が持てない限り、そう踏み出すことは難しい筈です。何故なら、そこには、既に権威付けられたものは一切不在ですし、何らの評判もないのですから。
ただ、覚えておかなければいけないのは、「高い成功の可能性を予想できるもの(学校でもその他組織でも)」を無批判に選択していまうことは、時には、既に誰か他の人の御輿(みこし)に自分が乗って走らされていること、にもなりかねないということです。
極端な話かもしれませんが、どんな大学や大学院に進学しようが、どんな場所に留学しようが、そのプロフィールをどこのメディアにも掲載なんかする必要ない、と全身で本気で思い切れているのであれば、ここで僕の書いていることなんて杞憂に過ぎませんが・・・・・。
更に間違わないでもらいたいのは、僕はここで、決して、ただただ孤独に建築することだけが大切だ、とか、本当に奥行きのある人と接触することまでをすべて否定しているのでも何でもありません。
建築家の中には人間として本当に味わいのある人、完全にイカれた人や既にイッてしまっているような人種(いずれも勿論良い意味です)は枚挙に暇がない程いますから、そういう人達と触れる機会を持つことは、人生の革命ともなり得るのです。ただ、前述したように、たいした自己分析や自己批評もなく、質の悪い色気だけで、結果や報酬だけを期待するようでは、あまりに無邪気過ぎるということです。
そして、そういう「媚びたやり方」や「群れること」は、ただただ自分を切り売りし、消費させてしまうことになってしまうということに気付いてほしいものです。
■和すること/同すること
論語に「君子和而不同、小人同而不和」というのがあります。
これは、「君子というものは和して同せず、小人というものは同して和せず」ということです。「和」ということと「同」ということは一見似ていますが、全く異なる概念です。
人は「和する」ことは大切ですが、「同する」ことは自分の価値を下げることにしかならないのです。簡単に言えば、「和する」こととは、自分勝手でなく人の気持ちになって、「私」を抑制しつつ人と交わること。「同する」とは、ただ「群れる」ことに過ぎません。
本当に僕はこのことを何度も言いますが、大切なのは、自分の力で新たに新しい道を切り開くこと以外無いのです。
人の力や世間の名声をあてにするべきではありません。人の評判や偏差値的判断など何の意味もありません。いつの間にか、人から聞き伝えの評判に乗っかって、自分の歩む道筋を選択していませんか?
「それを簡単に人に譲り渡してしまうことができるような創作の質」などというものは、誰からも何の興味も示されることはありません。
僕は4章の「建築を志す人たちへ」で、「どうして、飢餓感がないのか?」ということを書きましたね。
これは、勿論、僕自身への自戒を込めて書くものですが、今の日本の建築家の中、特に、僕たち40代前後の建築家より下の世代において、創作に対して、日本の文化に対して、壮絶な飢餓感や狂気のごとき殺気を感じ取れる人達がそれ程いると思えないのはどうしてなのでしょうか?無論、僕もその精進の足りない人間のまさにひとりである訳ですが。
それなりに、皆、自分の創作活動を精進していることでしょう。しかし、本当に日本の文化をどうするか?これからどうしてゆかねばならないのか?という大きなフレームから物を問い続けられる人達は、決して多く無いものと予想されます。
それは、経済的に豊かになってしまった戦後の甘くヌルい日本に育ってきてしまい、自然とそういう創造への闘争本能が湧かなくなっているからなのでしょうか?
とにかく、今からでも全く遅くはありません。いや逆に、これからが勝負なのだとさえ、僕は思っています。
若い僕たちくらいの世代から、そういう今までどうしても動かすことのできなかった大きな重たい岩を何とか爆破し、こなごなにしてゆくことをしない限りは、今の現状を変えることは永遠にできません。
100%確信すれば、そんなことは必ずできる筈です。
もはや、不要なことに心躍らされたり、ただただ欧米に土下座し続けるのはやめにして、もっと日本人として尊敬される全く新しい建築を造ろうではありませんか。
何も恐れたり、「本当にできるのか?」などと思ったりすることはありません。あるのは、とにかく日々の自分への闘争、現状への飢餓感、イマジネーションの訓練、です。そして、決して常識から笑われることを恐れない強靱な精神力を持ち続けることではないでしょうか。
日本の、例えば、今の住宅の質の貧しさを、そういうことで、絶対に変えてゆくことができる筈です。
いつまでも量産住宅のような、平面図(=間取り)だけによって、クライアントの今後数十年の生活の風景を決定してしまう方法を何とか改善してゆかねばならないのです。そして、しばらくの間、創作から抜け落ちてしまっていた「魂」を復権することです。
坂本竜馬の言葉に次のようなものがあります。
「何でも思い切ってやってみることですよ。
どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのですから」
そうです。
どうせ、僕たちはそれ程遠くない時期に、石ころと同じになってしまうのです。何かできるのは、このたった70〜80年くらいです。だったら、イジイジと人の後に着いて行ったり、人の評判になんかよって自分の進む道を決めるよりも、自分自身の判断で自分の力でこの世界を切り開いていった方がどれだけ意味があるかしれませんね?
■「未だ見ぬ世界」の呈示
だから僕は、建築家の、特にそのスタートの時点では、建築メディアがどう批評してよいかわからないような、「OKともNGとも簡単に言えないような物」を造ることを、決して恐れない癖を付けておくべきだ、と考えます。
言い換えれば、それへの批評を、メディアや批評家がどう書いてよいかわからないようなものを造ることを恐怖しないことです。
批評家が「これに“OK”と書いてしまうと建築界から?マークが出そうだし・・・・、でも“NG”と書くとそのバックグラウンドを精密に説明しなければならないし・・・・・」と思うような微妙なポジションというものが、実は歴史的に見ても、「新しいビジョン」の創成の種を備えているものなのではないかと考えます。
ただ、これは言う程簡単なことではありません。
編集者の人達や批評家の人達が編集会議の場で「これって、出していいんですかねえ?」と尻込みするようなもののことです。
もっと建築家は自分の方法に自信を持つべきです。と、同時に、その自信を裏付けることのできる哲学を学ぶべきです。
造るものは最初のうちは、多少へたくそでも一向に構わないし、いや、最初はヘタクソな方が骨格がしっかりしている、とさえ確信します。
初めのうちから礼儀正しい構成や、美しい納まり、端正な風景だけを売りにするような物を造っていて、建築の何がどう変わるというのでしょう?
それ以前に、そんなものではクライアントにとってそれが本当に豊かな建築となり得る筈がありません。それは、単に「お洒落な生活を送る為の箱」に建築を留まらせてしまうことになるのが関の山です。
そういう態度は日本や文化の損失になるのみならず、依頼者への裏切りにもなってしまうことを感じてください。
本来の建築家としての仕事とは、文化に対して、クライアントに対して、彼等が今まで感じたことのないような「未だ見ぬ豊かな世界」を呈示し、そこで日々新しい発見のできる生が送ることのできる幸福感を与えることにあります。
しかし、この「未だ見ぬ豊かな世界」とは、建築家自身の脳味噌から血が吹き出るような「思考闘争」の結果としてのみ、始めて現われ出てくる以外の何物でもありません。
自分を留保したり、安全地帯に置いたままにしておきながら、建築を片手間ですることは「建築よりも自分を可愛がること」に他なりせん。
建築をやる以上、そういう「自分を可愛がる姿勢」はきっぱりと捨てるべきでしょう。
それが、「制作と生活の区別をしない」ということです。
建築家自身が、常に自分自身とケンカしていない限り、そして、捨てるべきものに未練を感じている限り、絶対に小手先のテクニックのみで建築など実現しません。
知らず知らずのうちに建築メディアの批評に依ってゆき、メディアや建築界からNGを突きつけられることを恐怖している限り、それは新しい建築の質とは永遠に無縁です。
新しい命の誕生には、その途上で多々なる迂回や困惑や苦痛の時期が必ずあり、それはメディアには時として取り上げられず批評されにくいものでもあるのです。
今は「ヘタ」でもいいじゃないですか。そんなものはそのうちイヤでも「ウマ」くなるものですから。それより、そういう外野からの批判にヒヨってしまい、時間をかけて熟成してゆくことに我慢できなくなり、ついにはそれを諦めてしまうことが、これからの僕たちには最も大きな損失です。
何度転んだっていいじゃないですか。大切なのは、起きあがり、また歩き続けることです。
■自分勝手
ただ、今書いてきたことは、「自分を根拠なく勝手に信じること」とは全く意味が違います。
建築メディアの人達と接していると、僕達は彼等から多くのことを教えらます。出来上がった建物を見に来てもらった際、話をする中で、いったい今までどれだけのことをもらってきたことか・・・・・・。
そういう叱咤激励によって、自分の貯金が増え、それによって次の扉を開くことができた、ことなど日常茶飯事です。
加えて彼等は建築家の「予算がない」「工期が短い」「その他の事情」には全く無関心ですから、それ故、自分がそういった類の言い訳をすることから、常に気を反らす役割をもしてくれます。
建築メディアの位置とは、彼等の批評の中から、自分に厳しく自戒を刻みつける、という意味において解釈されるのが最も適切かと思います。
「和して同せず」は、建築家相手のみならず、建築メディアに対しても言えることなのです。そして、実のところ、彼等が最も望んでいるのはそのこと(本当の建築家を育てる)なのでしょうから。
メディアからのダメ出しを嫌う方向ばかりに自分の建築の方向を向けてしまっているようでは、建築はデパートで売られている洋服やアクセサリー等と何ら変わりない、単なるファッションの一部に過ぎなく成ってしまうというものです。
■むすび
はっきりと言いますが、僕は今の日本の建築のある一部の傾向は、あまりに細々としている気がしてなりません。
「表層」の裏には必ず「深層」が伴っています。「弱いもの」には必ず「強いもの」があるのです。そして、「精神性」と同時に「身体性」があることも忘れないでください。
決して、どちらかの片極だけに寄ってはいけません。どちらかの極に片寄ることは簡単であり、わかりやすいことですが、創作における最も大切なファクターである「わかりやすさ」というものの本来の意味は、そういった「わかりやすさ」とは質を異にしています。
念のため言っておきますが、ここで僕の言っていることは
「物事というものは、その両極を同時に見られなければならない」
などという、あまりにもわかりきった「二元論の調停」ではありません。
おわかりかとは思いますが、念のため。
大切なのは、「基底」(5章)です。
乱暴に言えば、単なる狂信的な一元論ではない、もっともっと大きな視野からの世界の一元性を背景にしょった、システムならぬ(非)システム論ということです。
前田紀貞 05/07/'04
加筆・訂正 前田紀貞 02/09/'05
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