ESSAY


           #08:プラットホームの演劇

 

■品川駅
この世界は演劇そのものです。

突然ですが、品川駅のプラットホームは、それらが行儀良く平行に相当の数で並んでいます。
僕は品川駅で乗り換えをする際、時として「プラットホーム演劇」を楽しみます。
そこには、傘でゴルフの練習をするサラリーマン、うつむいて本を読むおばさん、眼帯をした老人、咳をする男、その咳から逃れようとするOL・・・・・、そんな全く無関係の人達がひとつのホームという「舞台」の上で互いが互いに全くコミュニケーション無しに出演しているのです。
そういう際に僕は、自分のイマジネーションの及ぶ限りの力で、そこに何とか「物語」を生成させることができないものか、と努力します。それは、台本も演出も一切無い、偶然だけが造り出す、時にはとてもエキサイティングに成りうる演劇であり「物語」です。更に、僕のプラットホームは一番奥にあるので、そういった物語が幾層にも重なり、益々「風景の演劇」がパースペクティブを持ち重層してゆきます。

更に面白いことは、その幾つもの平行に並んだプラットホームのひとつに、ある瞬間突然電車が入って来、そして出発して出て行ってしまうと、そこに2分前まで出演していた俳優達はすべて消えてなくなり、新たに新しい俳優達が再び舞台裏(階段)から徐々に登場し始めるということです。
今まで構成されていた、重層する舞台の演劇が、「10両の電車による2分間の幕引き」によって、仕切り直しされ、新たな開幕をすることとなります。

こういう風景は、「ただ電車を待っている」という眼差しだけでいたら、ただの見慣れた日常風景にしか過ぎません。でも、それを試しに演劇だと思って眺めることをしてみたらどうでしょう?
考えてみれば、あんな凄まじくリアルな演劇は、望もうと思ったってできることではありません。ましてや、あそこまで奇妙な劇場や演出なしの演出をする演劇なんて聞いたこともありません。
そこにあるのは「偶然」を契機にしたイマジネーションのみで、台本もセリフも無いわけで・・・・。
観る人のイマジネーションの力だけによって、新たな世界が造られてゆくプロセスであり、日によってそれは、異常にワクワクする体験ができる時もあります。

でも 「こんなのを演劇というのはおかしい」という意見だってあるでしょう。
「演劇」とは、しっかりした台本やセリフがあって、演出家によって緻密に計画され構成され、そして、それが表現力ある俳優によって成されるもの、と一般には思われているからです。
でも、あのプラットホーム演劇は、僕自身をしつこくしつこくプラットホームと関係させ続け、ついには、自分さえも意図していなかったような、ひとつの「物語」を、イマジネーションによって造りあげてしまうことに他ならないのです。
「ひとつの【物語】をイマジネーションによって生成させてしまうこと」、この言葉を覚えておいてください。

これは、何か特別なイベントとか非日常のセレモニーなのでなくて、あくまでそれが日常茶飯事に起きている平凡な風景である、というところがミソです。
そういった通常はイマジネーションの喚起を強く呼び起こさないような些細な出来事に接することで、「イマジネーションの快楽」をどれだけ楽しめるか?が、本来の演劇の本質と、実はとても深く結びついているのではないかと考えます。
そして、僕たちにとってはそういう「眼差しの訓練」ひとつひとつがとても重要なことになってくるという訳です。

では、「ひとつの【物語】をイマジネーションによって生成させてしまうこと」が演劇の本質と関係している、ということについてもう少し詳しく述べてみましょう。

■歴史は物語だ
まず「歴史」というのものについての理解からはじめます。
歴史とは「物語」に他なりません。

例えば、「明治維新」という「物語」があります。ここでは敢えてそれを、「事実」とは言いません。
「物語」は誰かによって作成されたものですが、「事実」とは誰それが作るということ無くあったもの、という意味です。
「明治維新」のあらすじは教科書に書かれてありますし、司馬遼太郎の「竜馬が行く」でもいいでしょう。
でも、ちょっと考えてみるとわかることですが、「明治維新」という物語は後になってから歴史家によって作られたもので、その当時1868年の頃には、ただの個々のバラバラの出来事が複数あっただけです。

竜馬はねえさんっ子だった、竜馬は勝海舟に弟子入りした、竜馬は学問に通じていなかった、竜馬が脱藩した際に姉は喉を欠き切った、竜馬はお洒落だった、新婚旅行は薩摩の温泉に行った、寺田屋事件でおりょうは裸のまま薩摩藩邸まで駆けて行った、暗殺の瞬間竜馬は相手の刀をサヤで受けた・・・・・・・・
等々という出来事が、その当時はただバラバラに独立してあっただけだ、ということです。
更に当時は、今のようなメディアも発達していませんから、そういう個々の出来事が発生していた、という情報だって人々には伝わっていません。
これらのバラバラの出来事の中から、互いに関係のありそうなもののみをピックアップし連結し、最後にひとつの筋の通ったお話としてまとめあげ、物語を作成するのが作家(歴史家とか教科書編集者)と呼ばれる人達になるのです。
つまり、「歴史には作者がいる」、すなわち「歴史は物語である」ということになります。この意味で、僕は最初に「明治維新」は「事実」でなく「物語」だと言ったのです。

ただ、「歴史には史実があるだろう」という意見も充分想定できるものです。
では、「史実」とは何でしょうか?歴史に於ける真実とは?

よく言われるアメリカ開拓史は開拓者側から見れば、新大陸の発見であり、新しいフロンティア精神の発露の物語です。
しかし 一方、先住民であるインディアン側から見れば、明らかにそれが全くの逆であることは誰の目にも明らかな筈です。
僕は日本の「教科書問題」の是非をここで述べるつもりはありませんが、この問題に対する「対立」もそういう意味では同じ根から来ています。
たったひとつの「史実」などというものが無いからこそ、「どっちにするの?」「どっちの側から見たものを物語にするの?」という対立が起きるのです。

「歴史」とは、「どちらの面から切断するか?」によって、全く異なった物語が作られてしまうもの、という性質を持っています。それでも「歴史」に真実というものがあるのでしょうか?

また、「歴史」では「AはBに勝利した」という表現が頻繁に使用されますが、この「勝利」という言葉じたい、「歴史」に真実が無いことの証明でもあります。
わかりますね。 「勝利」という言葉は、その記載者側にとって喜ばしく、歓迎されるべき表現として選択される言語な訳ですから。
「開拓者はインディアンに勝利した」という記載は、あくまで開拓者側のイマジネーションによる物語であり、一方、インディアン側のイマジネーションによる物語になるとこれは「開拓者が我々を侵略した」となるだけです。
ただ、この例のように登場人物がたった二者(開拓者とインディアン)だけではないことが、昔からの出来事(歴史)の常です。
開拓者に空腹を満たされたインディアンも、インディアンによって命を救われた開拓者だっていた筈です。
もし彼ら(主人公でない一般の人達)のイマジネーションによる歴史があったとしたら・・・・・・・、また全く違った歴史が生成することになるのです。この意味では、歴史とは権力者/主人公の物語です。そこにカウントされなかった、脇役/一般人の作成した物語(=歴史)は抹殺されていることになるのです。

つまり、「歴史(物語)は複数存在する」ということになり、これが、「歴史に真実など無い」つまり「唯一の史実など無い」ということの意味であり根拠であります。

2章で述べた、「もともと世界とはのっぺりとした、意味の付加されていない状態だった」のと同様に、この世界で起こってきた出来事(維新で言えば、「寺田屋事件」、「池田屋騒動」、等)は、発生したその時点では、まだのっぺりとして意味が付与されていなかったのです。
そこに、事後的にある特定の作者の視点から、「歴史という物語=虚構」が造り出されるようになる、という構図に過ぎないのです。
「歴史」とは、複数あった筈の物語の中から、たったひとつだけピックアップされた「主人公の物語」である以上、それはたったひとつの事実(リアル)ではなくて、虚構(フィクション)といことになります。
ここで「歴史=虚構」という意味がおわかりいただけたのではないかと思います。

僕たちが創作する時に大切なことは、このような地点からもう一度、「歴史のリアルさって何?」ということを問い直す視点ではないでしょうか?

繰り返しますが、歴史とは「作者のいる物語」に過ぎないのです。
では、歴史が唯一でなく複数あるのであれば、一体、どこからが一般的な世界史の本に記載されるべき歴史で、どこからがそうでない歴史なのでしょうか? その分割線など実は無いのではないでしょうか?
何も歴史家が作成した物語だけが歴史なのではなく、あなたのウチのおばあちゃんが語る太平洋戦争の話も、中国のおじいちゃんが語る日華事変の話も、またひとつの「歴史」の物語に他なりません。
ただ、それらは教科書に記載されるべき視点としての「価値」はさほどないと思われているだけです。つまり、「世界の動きの変遷」には無視されてもよい、という程度の視点、ということです。

ただ、ここでの「価値が無い」「無視されてもよい」とは何なのでしょう?
往々にして現在の歴史とは「欧米の視点による」歴史です。もし、インディアンとか植民地時代のアジアの側が、今の教科書にある世界史の作り手だったとしたら・・・・・・・、今の世界史は随分と違ったものになっている筈です。アラブのテロリストが言う、「消費文明によって精神性を喪失させてしまった民族」という視点が定まっていたかもしれません。冗談ではなくて。
つまり、「価値ある歴史」は「欧米にとって価値ある歴史」なだけであることは、忘れられてはいけないことと思います。

価値ある「歴史」/権力者の「歴史」/主人公の「歴史」/欧米側からの「歴史」、だけを見つめないとするのであれば、そこには作者(=イマジネーション)の数だけ「歴史」は存在してきます。
この時、非権力者の「歴史」/脇役の「歴史」/非欧米側からの「物語」も立派な歴史となる訳ですから、先程の「品川のプラットホーム演劇」もひとつの「歴史」であり「物語」であり得るのです。

こう考えてくると、
「歴史とは発生した複数の出来事を題材にして、それをイマジネーションの力によって物語(フィクション)に仕立てあげられたもの」
という定義も成り立ちそうです。

このへんで、先程の「プラットホーム演劇」は、もしかしたら「歴史」というものとの関係の中で重要であるかもしれない、ということが、徐々に了解され始めないでしょうか?
プラットホーム演劇の場合も、上記の「歴史の定義」と全く同じく、「発生した複数の出来事を題材にして、それをイマジネーションの力によって物語(フィクション)に仕立てあげられたもの」な訳ですから。

ただ、「プラットホーム演劇」の場合、それが後生の人達に知識として必要な物語(歴史)であるか否かという視点はさほど重要なことではありません。
僕は「歴史」というもの・「物語」というもの・「イマジネーション」というもの、そういうものへの「創造的な眼差し」について述べているだけなのですから。

余談になりますが、「ニュース」とは最も短いスパンの「歴史」です。
通常の歴史が数千年という流れの中で成されるものとすれば、ニュースは1日〜数ヶ月を記載する歴史です。これも、リポーターとディレクターのイマジネーションによって語られる「物語」に過ぎない、ということが忘れられてはいけません。だって、朝日新聞と産経新聞の「物語」(ニュース)は殆どが全く正反対な訳ですから。
同じく、プラットホームでの待ち時間において、そこでの出来事を題材としてイマジネーションによって組み立てられた物語は、「数十分の歴史のひとつ」であることには変わりありません。

僕は昔、みかん箱を自転車の荷台に積んだ下駄履きのおじさんが、吉祥寺の商店街の中をゆっくり歩いてゆく姿に遭遇したことがあります。
そして、向かう方向が同じだったため、その人の後をしばらくの間、一緒に歩くことになってしまいました。
つまり、この時点で、 僕とおじさんはある時間を共有していた訳で、その時僕は、この10分間の「僕とおじさんの関係」を自分のイマジネーションによって、新たな歴史として造り出すよう試みをしてみました。
僕とそのおじさんには当然のこと何の関係もなく、その時に偶然の「出会い」があっただけなのですが、歴史家による歴史もすべて、複数の出来事どうしの「出会い」(関係)をイマジネーションによって物語に組み立て上げる(関係させる)作業でありますから、同じ意味において「僕とおじさん」の出会いという出来事は、ひとつの新たな歴史を生成させてくるのです。


■イマジネーションの力
ここで、話を「歴史」から「イマジネーションの力」、の方へちょっと移してみましょう。
僕は以前に、テナーサックスを習いたいと思った時期があり、友人の紹介によって、あの有名な日本のビッグバンド、♯&♭(シャープス・アンド・フラッツ)の鈴木孝二さんに手ほどきをいただけるかもしれない、ということになりました。
その際、僕は大変に失礼ながら鈴木さんのお顔は存じ上げず、ただ「1カ月後に、横浜の関内ホールで夕方6時にお会いしましょう」というお約束をいただくこととなりました。
そして、それからの1ヶ月間が僕にとっては奇妙な体験でした。

夢の中で、僕は♯&♭のメンバーと寝台列車で旅をし、未だお会いしたことのない鈴木さんと親しげに一緒に駅弁を食べていました。
ある時は、 テレビで♯&♭の演奏風景をやっており、そこでの幾人かのサックス奏者のうち、「このヒゲだらけの人こそ鈴木さんだ」と確信した番組がありました。(結局、後になってそれは大間違い!!だとわかりましたが)
またある夜、偶然、訪れたジャズバーで行われていた混成バンドのテナーサックス奏者が、舞台上で「有名な鈴木さんです」という紹介をされ、ここで僕は「彼こそあの鈴木さんに違いない」と確信をしたことなどもありました。

そしてそうこうしているうちに、その1カ月の間に僕の中には、パーフェクトな、しかし「フィクショナルな鈴木孝二さん」像が完全に造りあげられてしまっていたのです。
そしてこれは、自分の中では動かしがたい程のイメージになっていました。

さあ、待ちに待った1カ月後です。
関内ホールの裏口から警備員さんのチェックを受けて中に入り、最初に出会った人に「♯&♭の鈴木孝二さんとお約束していた者ですが、鈴木さんはいらっしゃいますか?」と聞いたのですが、何と!その方御自身が鈴木さんだったのです。

僕は、1カ月間で自分のイマジネーションが作り上げたフィクショナルな鈴木さん像と、その時お会いしたリアルな鈴木さんの像が、あまりにもかけ離れていたことに、最初は、その方が鈴木さんであることを、にわかに信じることさえできませんでした。(実はもっと怖そうな方という予想だったですし、それ以外にも沢山のイマジネーションによる像とは異なる点ばかりでした)。

こうしてその後、鈴木孝二さんという人物は、1カ月の間に生成した「フィクショナルな鈴木孝二さんA」と実際にお会いして了解された「リアルな鈴木孝二さんB」とが常に重ね合わされた結果の像として、僕にとっては存在するようになったのです。
つまり、そこに現にいらっしゃる鈴木さんは、「フィクション」と「リアル」がオーバーラップされた像として、その後、僕の意識の中に刻み込まれるようになったという訳です。

 

ここで、僕が言いたいのは、物とか出来事というのは、それ自体でもう完結してしまって動かないように、絶対的にあるのではなく、「複数の重層した像の結果としてのみあるのだ」ということです。
中学の時に「怖い先生だ」と聞いていて実際に会ってみたら「思いやりのある先生だった」という時には、必ず、「怖い」と「優しい」が重層してその人の像を作り上げます。
だから、「前情報」(フィクション)があればある程、そして、それが実像(リアル)と異なれば異なる程、最終的に組み立てられたその人の像には奥行きが増してくることとなります。
自分にとって見えてくる人や出来事の像というものは、見た通りの実像(リアル)そのままなのではなくて、
「実像(=リアル)」 + 「虚像(=フィクション)」
という、重ね合わせの結果としてのみ立ち現われて来るものなのです。

プラットホーム演劇は、そこに並んでいた人達やその行為による「リアルな風景」と、イマジネーションによる「フィクショナルな風景」が重層するからこそ面白いのです。
これは、さんざん知っているシェークスピアの「マクベス」を、「そのストーリーを再確認するべく劇場で鑑賞する」ことなどより、遙かにエキサイティングであり発見的なことです。
劇場に入った瞬間からフィクションの世界が始まり、劇場から出たらリアルな世界に戻る、というあまりに常識的で退屈な「仕切り」や「区別」は演劇を過去の産物に留めたままにし、それを貧しくするだけです。
そこでは、リアルとフィクションの重層による新しい火花がスパークされることなどあり得ないからです。それでは、創造のエンジンは作動するべくもありません。

言い方はよくないかもしれませんが、ストーリーが最初から決定され、結末の見えている水戸黄門的演劇やハリウッド映画には、ここで言うような「イマジネーションの快楽」はありません。
※ただし、水戸黄門やハリウッド映画を発見的に楽しむ方法は、別のところにあるのですが・・・・・




いずれにせよ、僕たちにとっては、日常生活の中でこういうイマジネーションへの眼差しを常に持っていられることこそが、何よりも大切だということです。
一見、バカみたいに思われる出来事と、しつこく関係を持ち続けようという姿勢で、一生懸命に自分の脳味噌を作動させ続けること。
それは、答としてはもしかしたら間違っているかもしれませんが、でも、そんなこと知ったこっちゃありません。そういう恐怖心や危惧心を持っているようであれば、新しい創造など決して自分の元へはやって来ることなどないのです。
それにだいいち、「答として間違っているのでは・・・・」と危惧する姿勢から答は絶対に生まれて来ません。


■「待つ」こと
最後にもうひとつ、よくある例を出してみましょう。
あなたが、大好きな女の子と初めてのデートの待ち合わせをしているというケースです。

あなたは初デートなので、きっと待ち合わせ時間よりも30分前には待ち合わせ場所に着いて、今か今かと「その時」を待っていることでしょう。でもさすがに30分前なので、「まだ来ないだろう?」とは思いつつ、でも辺りをキョロキョロしたりし始めます。
20分前になりました、「そろそろ来るかもしれない・・・・」。
そして、「もう来てもおかしくない」10分前です。
このくらいから、あなたは、遠くからやって来る人を見て、「ああ、あの人かもしれない」と思い、しかし近くまで来てよくよく見てみたら全く別人だった、というような経験をするようになります。そうではないですか?
あるいは、完全に確信して「ああ、やっと来た!」と思い込んで、小走りに走り出したことさえあったかもしれません。もしかしたら、脳天気なあなたはその全くの別人に向かって、手などを振ってしまったことさえあったかもしれません、ね。


ここで示しているのは、自分が「待つ」ことをしている瞬間(待ち合わせ)、というのは、自分が何か(女の子)に対して完全に「開かれている」のであって、それはいわば「真空」のように、何でもかんでも吸い込んでしまう状態に近くなっているということです。
「待つ」間は「待つ」ことしかしていません。そして、「待つ」という動詞は必ず、「○○さんを待つ」という対象物を伴います。「人を待つ」・「開演を待つ」というふうに。だから、「待つ」ことをしている時で、まだその人が来ていないうちは、その間は完全に自分は目的を果たせず宙づり状態にいるのです。
相手がやって来て、目的が果たせるまで、いつまでも「待つ」ことを続けるのです。
これが「真空」という意味です。 その「待っている」間は、どんな出来事でも引き寄せてしまう、というような意味です。


デートに限らず、「待つ」という行為が行われている間は、沢山の偶然の出来事がその人の意識の中に、今か今か、とばかりに、強引に飛び込んで来ようとするものです。
先の♯&♭の鈴木孝二さんの例も同じです。僕はあそこで1カ月の間、「待つ」ことをしたのです。そして、そういった自分の意識に吸い込まれてくる出来事こそが「フィクション」と呼ばれるもので、それを自分の意識に吸い込む力が「イマジネーション」と呼ばれるものなのです。
言い換えれば、「待つ」という真空状態とは、「自分の意識があらゆる関係性に対して開かれている」ということであって、それ故に「待つ」ことはフィクション(=物語)を生成させる為に、とても重要な「働き」となり得るのです。
そして、作者である「私」は、それら多くの関係性の「交差点」のようなものに過ぎないのかもしれません。
あるいはちょっと乱暴に、そのフィクション(物語)を生成させる「空」(5章)のようなものとさえ言ってしまえるかもしれません。

プラットホーム演劇では、僕は電車を「待つ」ことをしていました。
電車を「待つ」間 、他にすることが無いので、自分の意識は周囲の一切の出来事に対してパーフェクトに開かれ、真空状態で、自身は空っぽになっていたからこそ、あれだけイマジネーションが作動し、フィクショナルな演劇を楽しむことができたという訳です。
みかん箱のおじさんとの「出会い」も全く同じように考えられます。

「創造的に演劇を楽しむ」には、実は、そのストーリーや結末などはさほど問題ではありません。
その途上の、自分自身が造り出す「イマジネーションの快楽」こそが、演劇の醍醐味なのです。
事の顛末を知って安心したり、分かった気になったり、気分が充足されてしまって「はい、これで終わりです」、という状況は“後味としては”気持ちよいでしょう。でもそれでは「上演時間だけの楽しみ」ですべてが終了してしまいます。
僕がここで言っている、「イマジネーションの快楽」とは、そういうものと全く逆のものです。
それはいつも宙づり状態で、永遠に満たされることはありません。そして意識としてはとても不安定でいつも動き続けているようなものです。
でもそのかわり、そこには無限の自分の「想像の余地/鑑賞の余地」が与えられることになるのです。


イマジネーションとか 創造行為とは常にそういうものだと思います。
結果を知ろう、答を出そう、安心しよう、終わらせよう、としては絶対にいけません。




サミュエル=ベケットの「ゴドーを待ちながら」の中で、最後までゴドーはやって来ませんでした。
そこにあるのは、ゴドーを待ちながら繰り広げられるウラジーミルとエストラゴンの、ただひたすらくり返される「ごっこ遊び」だけです。
あの演劇に結末はなく、ただただ、その途中の場当たり的な行為だけが限りなく繰り広げてゆかれる、そういうものです。だから、終わって劇場から出てきたとしても、ハリウッド映画のような充足感・満足感は得られません。

そういうものが本来の創造的な演劇であり映画であるのです。そしてそれは、今回ずっと述べてきたような経緯において、紛れもない「歴史」でもあり、「物語」でありましょう。
更にもっと大きな視点から言えば、「創作者としての生活態度」にさえ近いのではないでしょうか?

多分、「ゴドーを待ちながら」の中では、最初から「ゴドー」なんて不在でよかったのです。
では、何故、彼はそんな不在の「ゴドー」を探す状況なんぞを、わざわざ設定したのでしょうか?そしてどうしてそれが名作と言われるまでになっているのでしょうか?

それは、観る人達に、彼らのイマジネーションによって、「ゴドー」というものを偶然の素材によりながら、どうにかこうにか組み立てさせ、そして「ゴドー」が不在であるが故に、あなただけのゴドーの「物語」・「歴史」・「世界」を生成させてしまうことを目論んだからに違いありません。
しつこく解説してしまえば、
ベケットは敢えて答を用意しなかったのです。「答がありそうだろう?」といった状況設定だけを投げかけ、最後は自分から軽く身を引いてしまうという方法です。

しかし驚くべきことに!!!!、この時点であなたは「不在であった筈のゴドーを発見してしまった」ということに気付かれなくてはいけません。
強烈です!!!!

これこそが「イマジネーションの快楽」に他なりません。


「“ゴドー”は“GOD”に由来している」という論がありますが、「ゴドーを待ちながら」には、そこに「死の瞬間」(5章)という「空白」を重ね合わせてしまう視線が間違っていないとさえ思わせてくれる強度があるのです。

そして、建築の創造もこういう一見おかしなイマジネーションの訓練をし続けることと深い部分で繋がっているに違いありません。

前田紀貞  17/06/'04

加筆・訂正 前田紀貞  24/09/'05


 

copyright(c) 2003 MAEDA ATELIER All rights reserved.