ESSAY
#01:建築家ということ
■ゼネコン設計部
僕は大学卒業後、大手建設会社の設計部に入社しました。
そこで、5年半程の間、現場監督や設計作業に携わりつつ、その後、独立しました。
通常、いわゆる建築家になる為のメジャーなルートは、学校卒業後、有名な建築家の事務所で5〜10年程修業をするとか、海外留学等をしてその後独立、というものなのですが、僕の場合は、幸か不幸かそういった道を選択することにはなりませんでした。
建設会社の設計部(組織設計といいます)という場所は、いわゆる純粋な(?)建築家達から言わせれば、創造という点で、ある種「後向き」に見られていることは未だ事実ですし、それを「負荷」のように解釈する人種が日本にはまだ多く生息する現実も否めません。
「大組織に入るなんて設計者としてはどうなの?」
「建築家は小さな事務所で貧乏しながら修行しているのに、大組織で安定したサラリーをもらいながら建築をやるなんて・・・・」
「だいたいが施工会社の設計部門なんて不純だ」
こんなことが、ゼネコンの設計部が「後向き」であることの理由なのかもしれません。
そういう気持ちを全く理解し得ない訳ではありませんが、でもそういうことを言ってしまったら、その人の創作者としての品格は終わりでしょう?
そして未だに建築家になるには、有名大学卒や海外留学、その後の華々しい職歴やデザイン能力が必要だと思われているフシが大きく認められます。
まず結論を先に言ってしまえば、これらのものはどれも建築家になる為には全く必要ではありません。
ちなみに、僕の事務所のスタッフには東京大学からハーバード大学留学というような経歴の者はただの独りもいません。
それどころか、かつてレーサーであったり、ボクサーであったり、歯科衛生士、骨董屋、土木監督、主婦、文学部出身、美術家、そういう経歴の人達が大多数です。
理由はわかりません。
ただ、彼らには誰が何と言おうと、自分の選んだ建築というものへ、これ以上ない心意気で突っ込む迫力があることは確かです。
詳しくは別の章でお話しますが、建築家になる為に必要なのは、礼儀正しく人への信義を通せること、明るく健康で精神的タフさがあり、そして辛抱強いこと、・・・・・・・・・・これだけです。
僕は、スタッフ達が、世間一般で言うところの逆境という「負荷」を敢えて自身で受け取めつつ、決してそこから逃げることなく、執拗に「道」を追い求めようとする生き方をとても潔く思います。
身なりは決して綺麗とは言えないかもしれませんが、同い歳の若者達が、街でおしゃれしつつ自分の時間の使い方を知らないでいる風景よりずっと美しいと思います。
■大リーグボール養成ギブス
「巨人の星」に「大リーグボール養成ギブス」というのがありましたが、これは将来、剛速球を投げる為、現在の自分に負荷をかけるという方法でしたね。筋トレと同じです。
ここで言いたいことは、肉体もそうであるように、魂や生き方にも常に負荷をかけておかないと、基礎体力はどんどん減速する方向へしか向かわない、といことです。
まだほんの若いうちのちっぽけな成功体験に早くもすがってしまうことで、これからの長い人生、一体どれだけのことができるのでしょうか?
それはむしろ弊害にしかなり得ないことだとさえ思うのです。
僕自身に関しても、組織設計部という、ある意味では多少の負荷のかかったスタート、すなわち狭い「建築家村」の外から建築を見ることで建築を始めることになってしまった経緯が、今となっては幸いしているようにさえ思えます。
ちなみに、組織設計者(大組織の設計者)ということに関してちょっとだけ付け足しをしますと、もともと大組織の「最終目的」とは、「利潤追求」に他ならない訳ですから、ある意味では「創造」という付加価値に対して評価が高くないことは当然のことです。
組織というものが、利潤とは無関係な「創造」の為に月500時間を超す労働時間(?)を毎月のように許していたり、入社当初の給与が殆ど無いに等しいなどということは許されないことですから。
両者の違いとは、そこのボスがスタッフ達の財政や生活に対して責任を追うのか、生き様や思想に対して責任を追うのか、の違いなのです。(後者は、資本主義社会では本来はあり得ない構図なのですが・・・・・)
■学生なのに大建築家!!
建築に限らず何かをある期間継続してやっていますと、色々な意味で徐々に大御所と呼ばれるようになってゆきます。
先に述べたような「負荷」をそれ程背負わないままであっても、年功序列の上での建築家としての評価は、ある程度時間だけが助けてくれるようになってゆく場合もあります。
5年やっている人よりは10年、10年よりは20年、20年よりは、という具合です。
ただ逆の視点から見て時々思うことは、大学の生徒の中には建築を志してから数年しか経っていないのに、既に創造という見地からの建築家と呼ばれても決しておかしくない人達が希にいるという事実です。
確かに彼らは、建設する為の技術や人との接し方、お金の分配能力やリスクヘッジに対する敏感さという点では、パーフェクトに欠落しているものだらけです。
しかし、そういう「技術」は相当の部分、時間が経てば自然と身に付いてくるものなのです。
「後からどうにでもなる」ということです。
一方、「建築家としてのかけがえのない創造能力」というものは、残念ながら時間とは殆ど無縁です。
つまり、建築を造ることとは、その人の「生き様」と相当深く関係しているということになるのです。
ただ生きるのではなくて、常に自己批判的に自分の成した行為、身の回りで見かけ感じた風景や事件を自分のものとして、どれだけ魂の栄養にできるか?
そして常にそれらに飢餓感を以て自分への問いかけとして反省として、繰り返し続けることができるか?
そういう姿勢こそが本来の建築家には不可欠なのです。
「建築を組み立てて行く作業」とは、怖いくらい「生きること」に似ています。
ファミレスで見かけた花器や夜食のプリンの食べ方からでさえ「新しい空間のアイデア」を獲得することはでき、交通事故を目撃した時に「リスクの何たるか」を体で吸い取る、あるいはビール片手に見たアイドル番組から「生きることの筋」さえをも感じ取ることができるか否かは、その人の生き様そのものに関わっています。
だから、僕は「建築家」と呼ばれるに相応しい人は、歳や経歴とは何ら関係が無いと、何度でも繰り返して言いたいですし、加えて、それを志す者を預かる立場にある人達(建築家と呼ばれる者達)自身が、そのことを自分自身で自ら体現するような生き方を実践していなくては、これからの「建築という文化」を担う若い人達をスポイルしてしまうことになりかねない事実に気付かれないとマズいのだと思います。
■建築家と呼ばれる人達へ
歳を経れば経る程、様々な出会いや感じ入ること、思考すること、反省することが蓄積してくる筈ですね。
1日でも多く生きていれば、それを始めた時より、爆裂する程のエネルギーに満ち、自分の周囲の世界がどんどん自分にとって親密に見えてくる筈です。
そうならなければ、建築という決して甘くない楽でない職業を選択した以上おかしいのです。
だから、歳を追うごとに創作物というものは凄みさえを帯び、触ると火傷しそうな迫力が出てくるのが事の成り行きというものでしょう。
通常考えられているような、「歳と共に枯れる」などということは本来、創造という分野ではあり得ないことの筈ではないでしょうか。
創作とはそういうものであるべきなのです。少なくとも僕はそのように確信しています。
自身の「生き方」の奥行きはどんどん増してゆきますし、そしてそれが逆にまた「創作」へ戻ってくるという循環の図式がここで成り立って行くのですから。
建築というものは、人が一生のうちで必死になって獲得したその財産で行う大きな賭けに、命を賭けて真剣勝負で立ち合いつつ、同時に自分をも更新してゆける作業な訳ですから、これは生きることの修業の為には、これ以上ないくらいに素晴らしいツールとなる筈です。
そのかわり相当厳しい行いであることは確かです。中途半端な気持ちでは、それら本気なクライアントの想いをしっかりと受け止めることはできませんね。
どんな職業でもそうでしょうが、あることをちょっとだけ間やっていると、勘違いをし始めることがよくあります。
それは往々にして「若いヤツは」とか「若い時には」という言葉と一緒にやってきます。もしあなたが、そういう類の言葉を頻繁に使うようであれば、要注意かもしれません。
僕はこういう類の言葉が大嫌いです。
人は誰かよりも多くの時間を費やしたことに重要な価値を見い出したがります。
それによって、自分の費やしてきた時間が無駄ではなかったと思いたいからです。1カ月かかって読み終えた本ですら、それが示唆的でなかった、とは思いたくない筈です。
或いは、ここまでかかって生きてきた時間、費やしてしまった時間を、今更になって無駄だったとは思いたくないものでしょう。
ただ、冷静に考えてみましょう。
果たして、自分の人生はいつも時間と共に正確に正しく豊かな方向へ行くものでしょうか?
逆にいつも方向修正が必要なのではないですか?
小澤征爾が「指揮者というのは車の運転のようなものだ」と言っています。
つまり、車を真っ直ぐに操作し続けるには、ハンドルに一切触れないのではなくそれどころか、常にハンドルの微調整をし続けなくてはならない・・・・・・。
建築も、そしてひいては生きることも同じで、この「方向修正できる勇気」「再起動できる勇気」こそが、生きることをより太く価値あるものにして行ってくれるに違いありません。
どれだけ歳を重ねようとも、それでも自分は「まだ若い」「まだ青い」と思える気構えさえあれば、昨日と今日、今日と明日は同じになる筈もなく、明日はきっと今日よりは僅かながらでも更新されてゆくことになるでしょう。
もし、以前に固定されたままのハンドルの位置でこれから50年間、車を動かし続けたとしたら・・・・・・。
考えただけでも恐ろしくなるような光景が目の前に浮かんできます。
修養していない若者は芳しくないですが、修養していない年寄りよりはマシなのではないでしょうか?
人生はやり直しの繰り返し、で組み立てられているとも言えます。
そして、 やり直しはいつからでも遅いなどということはなく、死の1日前からでも可能です。
80年間、ただ無批判に生きてきたとしても、最期の1日が本当に自分でパーフェクトに納得できるものであったとしたら・・・・・・、もうそれだけで人生は充分に立派だったと言ってもらってもいいのではないでしょうか?
僕は20代の時に、死の宣告をされたことがあります。
その時、自分にはもう200日足らずしか生きる時間が残されていませんでした。
今日があるのは、昨日が終了するまで生きていられたからですし、明日は今日を生き延びないことには絶対にやって来ません。
そういうとてもシンプルな経験でした。
だからもし自分に明日が与えられるとしたら、それは今日よりは明日がどこかの点で何かが「更新」されていなければ神様に申し訳ない。
そして、この「更新」という行為だけが、僕たちが最後の死の瞬間に唯一感じ取ることのできる「自分が生きた証」だと思うようになったのです。
だから、僕はそれを建築でやってみようと決めました。
まあ、選んでしまった以上、もうここでやるしかない訳で・・・・・・・。
■建築学科の学生へ
建築を勉強している学生にひとつだけ言いたいことがあるとすれば、それは「しっかりとした“人”になってください」ということです。
当然の話ですが、これは生物学的な分類からいうところの“人間”でないことはわかりますね。
ここで言うところの“人”というのは、もっと精神的な意味でのことです。
「本物の男になりなさい」「本物の女になりなさい」ということです。
これは僕が自分の大学の生徒に初めに言うことです。
「建築の細かい技術」はそれからでいいのです。
これは、医師になるには、まずその人の「人格」が大切であることと完璧に同じことを意味しています。
細かい説明はしません。わかりますよね?
僕も毎日、そうなれるように頑張っていますから!!
■建築家のスタイル
僕は建築家の「スタイル」という言葉があまり好きではありません。
この建築家はこういう作風だ、というあれです。
多くの場合、建築家というのはそれぞれに固有のカラーを持っていて、それとなしにその人の作品だとわかる「マーク」みたいなものがある程度は求められています。
ひどい場合には、そのスタイルを「売り」にする建築家達もいますし、逆にそれを求めるメディアだってあります。
僕はその「スタイル」こそが創造とか本当の意味での文化の創造を阻むものの大きな要因だと考えます。
建築家は「売れたスタイル」を「再生産」してしまうことで、すぐ目の前にある人生の成功だけを望んでしまうこともあるのです。もっと言えば、それは「楽チンな道」です。
それが、どういうことを意味するか?
もうこれを読んでいる皆さんにはおわかりのことと思います。
常に新しいルール・創造の仕組みを考案し続けること、クライアントの生き様に不撓不屈の精神で入り込むこと、
そしてそんなことをしつつ自分自身の生きる時間を更新し続ける、
そういうにしか、僕達に「明日」がやって来ることへの神様への恩返しは無いのだろう、と考えるのです
。
前田紀貞 17/05/'04
加筆・訂正 前田紀貞 20/06/'05
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